So suteki いのちの躍動

 

 

 

 

草ひとつ生えないぃ!!!!

 

 

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や、ちょっとは生えている。

 

 

 

これが冬。なるほど、畑を始めて一年経って、「温度」はエネルギーだということがよく分かりました。

 

 

 

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一方これは7月の畑。見て?全然違うでしょう?日中気温が10℃と30℃ってだけでこんなに違うんだよ?信じられない。

 

 

 

私は長野県の松本市という高地に住んでいながら根っからの寒がりで、一年半前のヨーロッパ旅では北欧で寒い寒いと騒いで旅のお供アンちゃんを困らせたし、高校時代に一年間ホームステイしてたタイはやっぱり最高でした。なんというかあれは、「ああ生きてる温度!」で、私は夏にすくすくと育つミニトマトの気持ちがよく分かる。育ちたくもなる。いのちの炸裂!!ビ・バ夏!!!

 

 

 

「ストックホルム以北は人間の住むところじゃない。あんなところに住む人の気が知れない。」って旅先で出会ったスウェーデン人のペトリは言っていて、「ひど笑」とか思ったけど、今になって考えると彼の言っていた意味がすごくよく分かる。

 

ファームステイのため、北極圏近くのトルニオという場所に滞在していたのだけど…

 

 

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なんというか、まあまだ5月だということもあったけど、本当にここの土で人の食べるものが育つのか?と疑問だった。人間も羊も、細々とした麦わら一本一本、ぱすぱす食べてるような想像しかできなくて(失礼)、私はこの場所で生涯を送れと言われたら絶対に嫌だと思った。

 

 

 

こういう場所より

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こういう場所の方が人間が生きていくのに適しているに決まっている。

 

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動物の“生命”という表現は、動物の“熱”という表現とほぼ同じ意味を持つと考えてよさそうだ。「食物」は、この人間内部の火を絶やさないでおく「燃料」とみればよいわけであり、(中略)したがって、人間の身体にとっていちばん大切なことは、暖を取ること、体内に生命の熱を保つことである。

ーウォールデン『森の生活』より

 

 

 

 

 

温度はいのち。

生命とは、“熱”のことである。

 

 

すると夏とは命のことである。

冬は死。眠り。

それは、畑を見たらすぐに分かることである。

 

 

なのに、この死(冬)の最中にも夏と同じ食べ物が難なく手に入る、現代こそ本当は理にかなっていない、おかしな世界なのだ。冷たく干からびた畑を横に、アボガドやナスや、ココナッツミルクなんかを見ると、「ああ君は一体どこから来たのだ?」と思わざるを得ない。

 

 

昔の人たちはどうしていたんだろう?そりゃあ、漬物も頑張って漬けるわな。米も、がんばって栽培して蓄えるわな!!狩猟民族じゃやっていけないよ。寒いし。そこには死(冬)が待っているのだもの!!私たち実は、冬に生きていることはすごいことなのだ。

 

 

 

しかし私は冬が嫌いかというとそうではなく、冬にはほっとするところがある。それは散歩中、虫やカエルとかの死体を全く目にしないことだ。

 

私の住む町は半田舎のため田んぼや畑がぽつりぽつりと残っていて、かたや向かいには日に日に新しい家が建つような、新興住宅街でもあり、自然と人工とがこんざいしている。

 

すると、田んぼで育った若いカエルが、いざ、外の世界へ!と張り切って道路に出たとたんに車に轢かれてぺちゃんこになってしまう、なんてことは毎夏、毎日、毎時間起こっていることなんだけど、私はこのことが、ほんとうは、頭がおかしくなるほど嫌だ。

 

ひとつの赤ちゃんが成長し大人の身体になるまでにどんなに時間がかかって、そこにはどんな母親の子の想いがあるか、わたしは生き物を育てたことがある経験上知っている。ほんとうに手間と時間がかかるものなのだ。ゆっくりゆっくり、大きくなるものなのだ。しかし、その神秘的な行事を終えたあとに待っているのが、一瞬にして車のタイヤにぺちゃん!なのだ。それが私たちのいる世界で起きていることなのだ。

 

私はこれを「しょうがない」と看過することができない。だから苦しい。だってそれじゃあ、あまりにも、報われないじゃないか…。

 

 

 

 

だから、今のような冬に外へ散歩に出ると、「ああ、今日は死体が一個もなかった!」と驚く。なぜなら冬には、最初から命がないから。

 

 

 

 

ああ安心。

 

 

 

 

そう、命なんて、最初から無ければいっそいいと思う。そしたら悲しい物語も生まれない。いのちの循環。生きることはすてきなことで、神様からの贈り物だけど、いのちがあることは本当に素晴らしいことなのか?実は私には未だにその結論が出ない部分がある。いっそみんな最初から無かったらいい。そうしたら、車に轢かれたり田んぼで干からびたりしないで済むのに。なのに、なんでわざわざいのちがあるんだろう?

 

 

はあ、今年もまたいのちがめぐる夏がやってくるぅ。いのちの芽吹き、なーんだか憂鬱。そう、私が夏といって思い浮かべるのは、温度と壮大ないのちの炸裂、そして、その生々しい真っ赤な血たちなのです。お盆には、おお、なんと数多の魂が空へ昇るのだろう。目には見えないけれど、ぜんぜん。彼らは何を想って半年にも満たない命を過ごしたのだろう。ごめんねカエル。ごめんね命。夏。いのちの憂鬱。こんなもの最初から全部なければいいのにね。でも夏を過ごし温度を享受することでしか生きられないから、大好きな夏だけど私の心はブルーになる。

 

 

 

 

でも寒いのは嫌だけどね!!!!死あるのみ!!!

 

 

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最悪ぅ!!!!

 

 

 

 

 

 

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