「なるようになる」の答え合わせ。現実が私に与えたもの。【当ブログ最終話】

 

 

ただ、どちらかと言うとFukiちゃんの描くマンガよりもFukiちゃん自身の人生の物語の続きが気になる感じです。いい意味で。

 

 

ずっと前にもらった、ある読者さんからのコメントが忘れられない。

 

漫画を5年書いてきて学んだことが一つある。それは「作ろう」とした作品よりも、「本当に起きたこと」を書いた方が面白くなるということだ。頭で考えて出されたストーリーなんて所詮、現実が与えるものを超えることはできないってことだ。ま、あくまで私の場合はだけど…。

 

大切なものはだいたい半径3メートル以内に転がっている

と、宮崎駿も言っている。

 

「Fukiさんは、エッセイ漫画だけ続けていればいいと思いますよ」

と別の読者さんに言われたこともある。分かってる。ブログにしろ漫画にしろ、私は「ほんとうに起こったこと」を書き記せば、下手に作ろうとするより創作としては良いものができると自分でも思う。だけどこの2年間くらいだろうか、「作りもの」をうまく作ろうともがいてきた。

 

 

 

そんなもんだから就活エッセイはヨーロッパ旅行記を最後に一年以上ほっぽり散らかし、漫画の編集さんにはフィクションの読み切りネームばかり持ちかけてきた。さらに今年は商業マンガの講座にまで参加した…!

 

画像:コルクマンガ専科HPより

 

成果という成果を得られただろうか?漫画講座の成果は…正直振るわずだった。メソッドに沿って物語を作るのは難しかった。緻密に計画的に意図的に、人に何かを“伝える”というのはなんと骨の折れる作業なんだろうかと思った。

“伝える”?

私はここまでして、一体、誰に何を伝えたいんだろう?

 

 

漫画を書く意図を失いつつあった中、漫画講座も終盤に近づき、気付けば、毎日エッセイなら続けられている私がいた。作りものを作ろうともがきながら、「現実」はいつも私の前にあったから。「ほんとうに起こったこと」はいつも私の後ろにあった。

 

 

 

「現実」、かぁ…。

 

ふと我に返り、前回書いたブログを見直してみた。なんと…いつの間に前回の更新よりいつの間にか1年半以上も経っているじゃないか…!

「なるようになるを信頼する」、か…。人生の方針をそう定めたのが一年半前。今、答え合わせの時期がやってきたように思う。なるようになるに任せた私に、現実は、一体何を与えたんだろう?

 

今日はぜんぶ書こうと思います。この一年半で、本当に起こったストーリーの続きを。

 

 

【目次】

  1. カフェ店員・学童指導員としての日々
  2. 連載企画すすまず、漫画賞投稿も結果ふるわず
  3. 「普通の才能を試したい」
  4. 市役所勤め「守るものがなければ」
  5. はじめての恋人
  6. 妹たちの結婚、祖母との別れ
  7. ひとつ夢が増えました

 

 

・・・

 

2023年度は、仕事としてはカフェでの勤務が主だった。

朝6時に起き出し、開店7時と同時に出勤。まだ車どおりの少ない、新しい空気に満ちた道を駆け抜ける時間は爽快で、その心のゆとりの中で私はたくさん自分と対話した。

 

 

早朝〜昼過ぎにかけて一緒に勤務している人は、パートのお母さんたちが大半だった。本当にみんな気のいい、楽しい人たちだった!そして訪れるお客さんはほとんどが常連さん。開店同時に「いつもの席」に座り、各々「いつもの」メニューを頼む。午前のその仕事が終わると、心地よい疲労と共にアパートに帰って漫画を描いて、夕方から始まる学童保育のバイトに行く。そんな日々。そんな毎日が、私は心底「自分に合ってる」って気がしてた。

 

 

その中で一番力を割いていた漫画は…しかしながらなかなかうまくいかなかった…。せっかく話が進んでいた連載企画はついに形にならず、編集と練ったネームで挑んだ読み切りを漫画賞に投稿するも結果はふるわず…。

 

「こんなこといつまで続けてて、私は前に進めるだろうか?」

という疑念がだんだんと湧いていた。

 

 

一番そう思わされたのは、ある女性誌の漫画賞に投稿した作品が、2年前投稿したものと同じ賞しか獲得できなかったこと。

 

 

2年前に比べ画力は確実に上がったはずだ。作風も女性漫画に寄せたし、ネーム作りとペン入れにかけた時間も以前と比べものにならない。なのに評価が上がらなかったのは、私は今と同じことを続けていっても成果が望めないことの証だと思った。

「私はどうやら、力を注ぐ方向を間違っている?」

 

こんなことを思っているとき…

 

高校の同窓会の知らせが舞い込んできた。

立食パーティーで、会費は…7,500円

 

 

やってられるかぁ!!!

立食パーティーなんてあれだ、どうせすごい量の食事が余って、わりにそんなに会話も弾まなかったし、あ〜あ行かなくてよかったかも…と思いながら帰るのが私のいつものパターン。てことで迷わず【欠席】の返信。やってらんないよ。

私は、もっと大切なものに時間やお金を注ぎたいんだ!!

 

 

…でもさ、その「大切なもの」って一体何?

 

 

 

 

はて…?

 

 

・・・

後日、正月明け。その同窓会に出席した友人と会う機会があった。

 

 

友:「同窓会ね、楽しかったよ!みんないい人だったし。でもさ、今さらだけど深志(私たちの卒業校)の医者になった人の多さには驚いた!!やっぱみんな頭いいんだなぁって思ったよ」

「あと、去年と比べて結婚した人が断然増えてた!深志同士って人たちも多かったし」

「もうこの年代になるとさ、独身にとっては婚活の場になっちゃうのかもね、同窓会って」

 

 

 

 

…なんかショックだった。

 

 

「ショック」?何が?

この感情を深掘りすると、医者が羨ましいんじゃなかった。結婚が羨ましいんじゃなかった。かつての級友と人生の舞台が違ってしまったことを後悔しているのではなかった。ただ、その同窓会の場に私がいなかったのは、7,500円をケチったのは、私の意思というよりは、私がそこに「いるべきでない」人間になってしまったからだと思った。その選別が静かに行われたのではないかと思った。

 

 

そうか私はもう、「フツー」の舞台にいないんだ…

(医者が「フツー」だとは思わないけど笑)

 

 

私がそこにいなかったのは、私の意思と思ったけど本当は違う、私が医者でも公務員でもエンジニアでもなく、私がいちカフェ店員で、時給で働いているからなんじゃないのか。

「私はもう“フツー”には、戻りたくても戻れないんじゃないか」

 

 

 

 

「フツーになれるなら、フツーになりたい…」

 

そんな感情に駆られた。焦りとはまたちょっと違う、衝動。川の流れに身を任せるような衝動だった。

 

 

・・・

 

「そろそろ腰据えて、市役所に勤めるのも、いいかなぁと思って…」

 

気づけば私は知人にそう打ち明けていた。知り合いで市役所に勤めている人がいて、その人たちに尋ねてみた。

 

知人:「へぇ?いいんじゃない?いま大卒枠なら、35歳まで経歴関係なしに入れるよ。」

知人:「僕は31のとき入ったよ。当時家族ができて、それまで職を転々としてたんだけど、いよいよちゃんとしたところに勤めなきゃなっていうのがあって…」

知人:「今年の試験はもう終わっちゃってるけど、早く勤め始めたいなら会計年度任用職員っていう働き方もあるよ。年度単位の契約職員みたいなもんで、正職員より給料低いけど、試験は面接だけだし、わりといつでも募集があるよ!」

 

そう紹介を受け、私はすぐさま市のホームページから会計年度任用の事務員に応募した。それが2024年2月のこと。

 

・・・

 

さて、そんなふうに次年度からの仕事を考えている傍ら、私は例のマンガ講座で受講を始めていた。半年のカリキュラムで商業マンガのメソッドを学び、最終的に32pの読み切り漫画を完成させるという内容であった。

 

たくさんの課題があり、楽しかった!

 

講座を通して、今まで編集さんに何度も言われてきた、「主人公に欲望を持たせなさい」ということの意味がよく分かった。キャラの欲望、したいこと、それがどうストーリーの推進力になるかということ。

 

しかし特に学びが得られたのは、他の受講生の存在だった。

 

オンラインで交流する。

 

講座の中では受講生同士、お互い対話し、内心を深く見せ合うというのもあった。より深いところの心を表現できるように…。

私が彼らの魂の吐露を聞いて思ったのは、「そうか、世の中にたくさんある漫画も、一人一人の“人間”が描いてるんだな」ということだった。一人一人、不器用で、何か満たされないものを抱えていて、それを表現する術が漫画である(漫画しかなかった)人たちがいる。こんなにたくさんの。へーー…。

 

 

 

私が彼らとの交流を通じ、一番感じたことは、彼らに比べ、私って結構「フツー」の人間だなぁ。ってことだった。

 

複雑な家族状況で育ったわけでない、対人関係に大きな悩みを抱えてるわけじゃない、かつてエッセイ漫画でも言った通り、私はけっこう「フツー」のことが「フツー」にできる人なのだ。変な話だけど、多くの漫画家と交流し、私は、フツーじゃない人よりはフツーの才能があるのではないか?(笑)と気づいたのだった。

ならばその方向に力を注がないことは、「私は力を無駄遣いしてる」ってことに、なるのかな…? と、ふとそう思った。

 

エネルギー 保存の法則により、この世のエネルギーは保たれる。姿を変える。ただ、一見「役に立たない」エネルギーの使い方だってあるんだ。ジェットコースターの位置エネルギーが、コースターを走らせるのみに使われず、摩擦熱とか、「キィーーー」って音として消耗してしまうように。

どうせエネルギーを使うなら、「良い方へ」使いたいものだ。私が朝日からもらったエネルギーは、やっぱり私を介して姿を変える。それが、朝日と同じくらいに素晴らしいものだと一番いい。美味しい野菜になればいい。でもそれが、立食パーティーの残飯になるのはもったいない。そういうこと。

つまり私は、私の力を「より有効に」使いたいってこと。私に「フツー」の才能があるのなら、その方向に力を使わないのなら「もったいない」ってこと。…そうだよね?

 

 

 

 

・・・

そうこうしているうちに市役所から採用通知が届いた。こうして晴れて、8時半始業、週5で働く生活が始まった!

 

 

市役所の仕事は、とにかく「正確性」が求められる仕事だ。私が任されている会計処理の、例えば件名を一文字間違えただけでも作り直し。請求書に余分な欄が見られれば何枚でも刷り直し。税金に関しては1円たりとも間違えてはいけない…!

今までやってきた仕事の中でも特にカッチリした仕事。続けられるかなぁという不安が最初あったが、いざやってみると「一年はできる。耐えられる」と思った。

「上司もみんないい人だし、ほぼ座ってるから疲れないし、カフェで働いてた時の5時半に起きより8時半始業なんてぜんぜん楽だ。」と思った。

 

「でもこれを、一生続けていくとしたら?」

 

 

 

5月1日(木)、2日(金)と、初出勤を終えた私は帰り道、夕日を眺めながら、ひとつ、はっきりと感じたことがある。

 

「これは、守るものがなければ、続けられないな」ということ。

 

「守るもの」?

守るもの。それはたぶん、世間体であったり収入であったり?養わなければいけない家族がいたりしたら、それは「守るもの」だ。でも私にはこれらは今はない。

「守るものが自分だけなら、私はもっと違うことをしたいな…」と思った。あ、私は、この感じを知っている。就活期の、インターンシップからの帰り道で泣いた、あの感傷だ。あれを再びそのまま感じた。ああ私って、つくづくそういう人間なんだな(笑)

 

就活エッセイ第1話より

 

思い出した、自由なこと。

私の目の前の景色はいつも360°自由だってこと。

 

なんでもできるとしたら?

なんでも選べるとしたら?

初出勤日にして次なるステージを考えている私がいた(笑)

 

 

 

 

どうしよ。今年30にもるしなぁ…。30といえば…確かワーホリの年齢制限だ…。

そうだ!オーストラリアにでも1年間ワーホリ行こうかな?今の事務も、希望しない限り契約は一年打ち切られるんだし。ワーホリの資金を貯めるためと思えば、仕事もますますがんばれる!!

 

家に帰ってスマホを開き、「ワーホリ オーストラリア」と検索した。

 

・・・

さて、まさにそんなときのことである、私は再び現実の持つ力によって引き戻されることになる。出勤2日を終えて突入したゴールデンウィークのさなか…

 

 

……はじめての恋人ができた……!

 

 

 

 

彼とはその前の2月に出会っていた。地元であるフォーラムが開かれた際、私は縁あってそのイベントに出展者側として参加していたのだが、彼はそこに勉強に来ていた。年下の新聞記者である。

そのイベントで話して、知り合って、翌月にはお茶に行って、その翌月には一緒にお花見をしたのだ。

 

彼と付き合ったことを友人は驚いた。

 

「マッチングアプリで14人と会ってさぁ、それでも、時間をかけなきゃ相手を好きになれないなって、Fukiちゃんってそいう感じだったじゃん?でもその人、知り合ってからそんなに時間をかけたように思えないけど、その人は他の人とどう違うの?」と友人に言われた。

 

彼の素敵なところは第一に、仕事をとても楽しそうに語るところだった。なんかいいなぁって最初思った。そして彼は驚くほどにいつも笑顔で、幸せそうで、誰とも違っているといえば、まずそういうところだ。

 

彼について書こうと思えば無限に書けてしまうけど、とにかく私は彼をごく自然に好きになって、ごく自然に一緒に花見をし、「はじめての彼氏」ができたと知ったときだって、それはごく「自然なこと」のように思えた。「すごいことが起こった」という感覚はあまりなかった。すごくうれしかったけど。そして付き合い始めて7ヶ月経った今でも、その喜びが全く同じ温度で続いている。

 

まあつまり、オーストラリアに行くぞ!って決意もいつの間にやら、「今じゃなくていいかぁ」なんて思うようになっていて、「オーストラリア 留学」って調べたSafariのページを私は静かに閉じた。

 

 

・・・

私がそんな「はじめて」に多く出会っている最中、時を同じくしてそのゴールデンウィークに私の2歳年下、4歳年下の妹はどちらも入籍を果たした。はぁ。私ってどうしてこう、他の人よりいろいろ遅いんだろう……?妹2人が結婚する頃にやっと、初めての恋人ができるなんて(笑)

 

時に気まずい状況にもなった(笑)▶︎毎日マンガより

 

でもまあしょうがない。これが私だ。なるように任せて、なるようになった結果だ。

 

そしてその5月に、おばあちゃんが入院した。

 

8月末に息を引き取った。

 

 

 

 

ひとつ分かったことがある。

変化とは、望むと望まざるに関係なく訪れるということだ。

 

おばあちゃんがいなくなったことは、実は今でもちゃんとは理解できていない。たださみしいなって思う。けど、本当はもっとさみしいんだと思う。小学生の頃から一緒に暮らしてきたおばあちゃんだから。心にぽっかりと空いた穴は、しかしながら現実に様々起こりつつある「変化」が、その隙間を少し埋めてくれた。現実が、私を前に進ませる引力として力を発揮していた。さて、私はこれからどうしよう?

 

 

正直、市役所での仕事は楽しいってわけじゃないけど、嫌って訳でもなかった。得意か不得意かで言われるとたぶん得意。ほらね、やっぱり私は「フツー」の才能がある人間だったんだ(笑)

するとこのまま採用試験を受けて正規の職員になることを目指すのも一つの道だけど、まあ今だって「守るべきもの」なんてないよな…とは思う。

 

 

ちなみに今勤めている課が教育に関連する部署で、小さい子がよく来所する職場であるのだけど、子どもと接する教諭や保育士さんたちの姿を見て、私はよくこう思う。

 

「もし選べるなら…私は…事務員よりも教員やりたいな…」

 

私は今まで塾講師や家庭教師をずっと続けてきた。それは、「やりたいから」じゃなく「できるからやってる」ものだと思ってた。しかし今の現場でやっぱり教育に憧れが湧くのなら、私はそっか、なんだかんだ子どもと接することが好きなんだなぁと気付いた。毎日エッセイを続けてみて、最も書きがいがありいきいきと描けたのは小学生の姿だったし。

 

 

そうか。なるように任せる、ね。エネルギーの感じる方へ。じゃあ、そっちの方に流れてみようか。

 

 

 

10月。私は、教員免許の取得を目指し、通信制の大学へ入学した!

 

 

今まで塾やスクールの講師をやる中で「教員免許があればな…」と思ったことは実は何回かあって、大学の時に取っておけばよかったな…でももう遅いな…なんて思っていた。

しかしよく考えてみれば、社会人をやりながら大学に通う手だってある。何も遅くはないし制限なんかない。目の前は360°自由だし、目の前に続く人生の中で今が一番若いのだ。なら、今動き出すことのどこが遅い?「やりたい」と思ったときが、きっとそのタイミングなんだ。

 

入学審査の合格通知が届き履修登録を終えると、自宅に大量のテキストが届いた。

 

これでまだ半分…(汗)

 

免許取得のために必要な単位は60単位。毎日帰宅して、テキストを読んでレポートを書いて、試験を受けての繰り返し。一生懸命書いたレポートもボロクソ言われて返ってきたり(笑)。資格を取るって意外と時間と手間がかかることなんだなって知った。まぁコツコツがんばろう!

 

 

「学校の先生なんてやめなよ。私の知ってる人はみんな心病んでいくよ?」

「教員?ブラックだよ。真っ黒だよ」

と元教員である知り合い、同僚は皆そう言う。

 

新しい挑戦を始めた早々、ネガティブな意見をすでにたくさんもらってた。だから内心ビビっている。教員ってやっぱり大変な世界なんだな…。じゃあそういう世界に、わざわざこれから時間と労力をかけて免許を取得して飛び込んでいくって、どうなんだろう…?この選択は、悪手なのか?と、実は若干迷いがある。

 

 

しかし私にはひとつ、他の人とは違う野望がある。

それは、いつか教員になって、その体験を漫画にすること!!

 

 

教員がブラックだと叫ばれているこの世の中、それをこの目で確かめて、その事実を漫画として世に送り出すことができたらすごいことだ!!そんなに描き甲斐があることはない。そしてそうじゃとも、これが一番大切なことなんだけど、学校の先生は私の天職だって可能性もあるのだ。それを確かめずに、なぜいられる?

 

というわけで、迷いつつも同時にワクワクしている。てゆーか、「元漫画家の小学校の先生」なんて、めっちゃカッコいいじゃん〜!!って(笑)案外そういう単純なモチベーション。

 

 

ひとまず、免許取得までの数年をどう過ごそうかなと考えた。職場の元教員に聞けば、支援員や事務員としてなら免許なしでも公教育の現場で働くことができるらしい。それで私は人材登録をしに市の教育委員会を訪ねた。

しかしいざ説明を聞くと、支援員や事務員は労働条件があまり良くなく、「他の仕事をかけもちしていただくことになりますね…」ということだった。バイトの掛け持ちという働き方はなんかもうヤダな…と思って、結局他の道を考えることになった。

そうなると今の臨時職員の契約を延長するのが無難な道だが、せっかく続けるのなら正規の職員になるのもいいなと思った。そうすると、臨時職員を続けながらまた来年試験受けることになるかな、とか考えていたところ、11月、市役所の正規職員の追々加募集が出ているのに気が付いた。えっ!!こんな秋になっても、正規職員の応募にまだ間に合うの?!

 

 

「いや、さすがに今から対策始めるのはムリだよww  」

ある市職員の知り合いはそう言った。

 

「やっぱそうですかね…」

「ん〜でもまぁ、受けるのはタダだし、筆記だけ受けてみるのもいいんじゃない?受かればラッキー、そうじゃなくても来年受ける時の練習にもなるだろうし」

「そうか…じゃあそうしてみます!」

 

ダメ元で受けた。すると驚くことに…筆記試験が見事に通った!(たぶん偶然ww)続く面接も一次、二次と順調に進み…

 

 

12月末、最終試験の合格通知が届いた。驚いた。ロクな試験勉強をしていなかったから、これは実力とは言い難い。とにかく運が良かったのだ。もう一回同じ試験を受けたら普通に落ちると思う(笑)そのくらいラッキーなことだった。

 

実力でないなら、これはなんの導きだろう…?ともかく、私は来年からは正規の市役所職員になることが決まった!職員、兼、通信制大学生である。10ヶ月前までフリーターでいて、「フツーに戻れないんじゃないか」と恐れていた私は、拍子抜けするほどあっけなく「フツー」に戻れてしまった(笑)

 

あーあ、フツーじゃない道を歩んでると思ってきた今までは、一体なんだったんだろう?

 

面接の帰り道。

 

 

「これなら、新卒で市役所に入った人に比べて、ただ6年の遅れができたってだけじゃないですかね…」

合格報告の際に、私は先の市職員の知人に本音を打ち明けた。するとその人は私にこう言ってくれた。

 

「無駄な道なんてないんじゃない?人はみんな、その人の通るべき道を通っているだけなんだからさ」

 

優しい言葉をくれるんですね(笑)

そうだといいな…

 

 

 

ともあれこの一年間は、不思議と何かに「導かれている」感覚があった。あらがわず、自然に任せた結果、エッセイ漫画ならスラスラ書けたし、憧れを感じなかった事務員も私にわりと適正のあるものだと気付いたし、偶然配属された部署で教員に憧れを抱いたのも、正規の職員に合格したのも、すべて、「みちびき」に思えた。

 

しかしながら、「作りもの」の漫画を上手く書こうと、流れにあらがおうとしていた期間もまた無駄ではなかったと思ってる。なぜなら、初めてできた恋人が、私のことを「漫画かいているところと、意志が強いところが好き」って言ってくれたから。

 

すごい言葉でしょう?どうして出会ってすぐに、私のいちばん私らしいところを見抜くんだろう。これを言われた瞬間ほど、今まで頑張ってきて、自分を信じてきてよかったと思った瞬間はない。ほんとうに、救われたんだよ。「フツーになりたくない」と思った昔の自分も、それからやってきたことも、「フツーになりたい」と思った自分もすべて、その延長線上に大好きな人に出会えたことで、間違った道ではなかったと知れたから。すべてたぶん「自分の心を信じた」流れの延長線にこそあった、と思える。そしてその延長線上で、これからも、自分の心ややりたいことを手放す理由はどこにもない、そのことに変わりはないんだって思える。

 

 

そうか、現実に流されることも、やりたいことをやりたいと現実にあらがってみるのも、相反するものではない、

どちらも同じ、「導かれる引力」なのかもしれない。

 

 

人はみんな、その人の通るべき道を通っているだけだから。

 

友人の言葉が思い出される。この言葉を思い出すといつも、心がすん、と、少しだけ温かくなる。大きなものに身を任せればいい。

 

 

 

ああ、、うれしいな。

 

 

 

 

 

神さまありがとうって、思う。それは恋人ができたからとか、市役所に受かったとか、夢が増えたとかじゃくて、ほんと、今ある状況ぜんぶが。得たものじゃなく与えられたもののようで有難いって、自然に湧き上がる。

 

「神さまありがとう」って。

 

 

 

だから私は信じざるを得ない。私は望むと望まざるに関係なく手を引かれる、その変化の方向は「良いほう」だと。私に起こることはすべて良いものだと。

 

私のこの根拠のない自信は、まぎれもない、私の経験によって裏付けられている。私のブログを、漫画を、読んでくれれば分かると思う。私はどんどんよくなる。どんどん幸せになる。別に自慢じゃないよ(笑)

 

これが別に、努力の甲斐とは思わない。一つ言えるとすれば、私はいつも呪文のように言い聞かせてきた、「私はどんどんよくなる」と。現実もそう動いているのはその祈りの成果なのかは分からない。ぜんぶ気のせいかもしれない。それか、私のこれまでの幸運はみな、ただのまぐれだったのかもしれない。だけど…

 

 

 

祈りが無力だとしても。これから私に起こることがすべて、ただ下っていく川の流れのようで、上昇する気配がないようなものだとしても。

 

 

 

 

それでも私は信じ続けると思う。「私はどんどん良くなる」と。「私に起こることはすべて良いものだ」と。

 

 

 

 

だから私は大丈夫。

 

 

 

 

 

 

・・・

最後までお読みいただきありがとうございました!当ブログは、今年度をもって閉鎖したいと思います。更新頻度もままならなく、更新をチェックしてくださっていた方には何度も失望させてしまったこと、申し訳なく思っています…。ごめんなさい。

過去記事から徐々にnoteに移行中ですので、記事を見返したいときにはこちらのnote↓にぜひ来てくださいね!

 

雨やどりをしよう。/note

 

漫画の方は、教職の勉強を進めつつ手を入れていきたいと思っています。こちらの漫画用アカウント↓も引き続きよろしくお願いします!

 

新川ネリ/note

 

 

いつもありがとうございます。

 

 

 

 

2件のコメント

お久しぶりです。✉️が届いてたので久々にブログ読ませて頂きました。ラストのコメントなので正直に書きますが、確かに創作マンガよりも実話エッセイのほうが読み応えがあり、面白かったです。(創作モノでも好きな作品は多々ありましたが)その理由はマンガ内の架空キャラクターより、フキさん自身の存在、人間性やこれまでの生き方が圧倒的に面白かったからでしょう。そしてその経験を経て、今は次のステップへと向かおうとしている。変な言い方ですが、貴女は僕が好きなマンガの主人公のような生き方をしていた人でした。僕は貴女のエッセイ、マンガを通して実在するフキさんという人間のドキュメンタリーを観ていたのだと思います。だから本当に感謝しております。ありがとう。

晴れて教員になれた時はまた実録教師エッセイマンガを描いて下さることを楽しみに待ってますね。恋人(フキさんの心射止めるなんてすげー…笑)と一緒にこれからもフキさんらしい人生を謳歌してください。

今までブログ更新、お疲れ様でした。たくさんのエッセイやマンガ、楽しませて頂きました。またいつの日か何処かで会えるときがくることを祈ってー。

naokiさん、noteの方でもメッセージいただきありがとうございました。主人公のよう、と言われ照れ臭いような嬉しいようなです。だれもが本当は主人公ですよね。私も主人公らしく、物語の続きを生きていきたいと思います。ありがとうございます!

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