メランコリックな深夜の手記。洗面所のサボテンについて。

 

 

 

 

我が家の洗面所にはひとつ、小さなサボテンがある。

 

 

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わたしがこのサボテンを小学校低学年のころに雑貨屋さんで買ってもらったのを覚えているから、このサボテンは20年近くもこの家にいることになる。

 

普段、洗面所の出窓の奥に置かれたこのサボテンにはだれも目もくれない。今日はわたしがたまたま目にして、ちょっと手前に移動させただけなのだ。

 

 

 

買った時はもっと小さかったサボテン。年々、ほんとうに少しずつ大きくなっていると知った。お風呂場だから湿気はあるにしろ、だれも面倒を見ていないのに、どこから養分を得ているんだろう?

 

この下の、土みたいな青いつぶつぶは何でできているんだろう?プラスチック?砂?よく見てみたけど、分からなかった。

 

 

 

分からないなあ。このサボテンに、意識とか、気持ちがあったらどうしよう。

 

このサボテンに、名前はない。そのことを、このサボテンが悲しんでいたらどうしよう。わたしはこのサボテンに、ちょっとの心も分けてあげていなかった。

 

 

わからない。

 

 

分からないし、見えないことでいっぱいだ。

そのことが悲しい。

 

 

 

ふと、ゼラチンのことを考える。ゼラチンは、グミやゼリー、マシュマロなんかにも使われる、あの成分。先日、訳あってゼラチンの製造工程を調べた。

 

ゼラチンの原料は主に豚の皮とか、牛の骨。精肉過程の残渣、とでも言おうか。それらを湯がき、攪拌し、ゼラチン質を抽出する、大きな大きなタンクがあるらしい。

 

 

ドロドロドロドロ、死体がかき混ぜされるおおきなタンク。かつて命だったものが一緒になって溶かされるそのタンクがある。

 

 

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よく分からない土の上に何年もひとりで生きているサボテンを見て、なぜか思い出したのはこのことだった。深夜の思考回路は我ながらよく分からない。

 

ああ、目の前にあるものは、何でできているんだろう。どこから来て、どこにいくんだろう。わたしは何も見えていない。

 

 

 

皮が剥がされ、骨を抜かれ、それを、大きな鍋で煮立てられる場所がある。わたしはその場所についていつも考えている。

 

出窓に置かれ、だれにも目を向けられない場所で生きているサボテンがいる。

 

 

 

深夜2:00、歯磨きをしながらサボテンを眺めていた。でも、そのとき使ってた歯磨き粉だって何からできてるのかさえ分かっていなくて、ああわたしはいつまでもこうやって頭が狂ったまま、なにも分からないまま生きていくしかないのかなー、などと思い、ばかだなぁ、と。

 

 

両腕を失った我王(漫画『火の鳥』の登場人物)は、さすらいの果て、大自然のなかで、その天地の美しさに初めて涙を流します。

その天地が美しかったのは、何もかもが、そこに生きていたからです。

 

ー手塚治虫『ガラスの地球を救え』より

 

 

今夜からは、あのサボテンにちょっとずつ、こころを分けてあげようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

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