私は本を読む意味などあるだろうか。ゴロゴロにゃーな日。

 

 

自分の部屋で天井を見ながらぼーーっとしていた。

 

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最近こんなふうにして過ごす時間が多い。ついこの前まで頭の中がうるさくて敵わなくて、うるさいうるさい…そうだ「禅」だ、と思って夜寝る前に、7月にお寺で習った座禅を組んだりするけれど、20秒くらい経ったその頃には眠たくなって寝る(ダメだこりゃ笑)

 

 

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ふと本棚を見やるとずっと前に読んだきり置いてある本が並んでいる。感想のない目で見つめて、私はこれらのどこに感銘を受けたんだろうと、適当な本を手に取ってぱらぱらと開いてみる。

 

 

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どんなに「正しい」目的で行なわれていることであっても、ある種の「うしろめたさ」を欠いた社会運動を私は疑います。疑うことが、いわばクセになったんです。ここでいう原理主義とは、なにかを絶対的とみなすということです。

ー養老孟司『運のつき』

 

ってとこに線が引いてあって、「うん、原理主義!なるほど!」と言わんばかりに過去の私は「原理主義」を丸で囲ってあるけど、

なんのこっちゃww

 

私は今や、原理主義とやらに関して一日のうちの一瞬たりとも考えないし、この本の成分がいくらかでも今の私に残ってるのか謎。数年前の私はそれなりに時間をかけてこの本を読んだんだろうけど、虚しいかな、今の私はさっぱり忘れて、虚空を見つめる時間を過ごしてます。

 

あーあ、こんな私はこれから本を読んでいく意味などあるだろうか。

 

(…チッ めんどくせー…)

とか思ってぼけーーっと色んな本をペラペラやって、付箋の貼ってある箇所を読んでいったけどほとんどは覚えていない。しかしその中には、なんだか知らないけどなかなかステキな文章がいくつかあった。読んだ当時の私と同じ感動でもって読めているか分からないけど、引っ張り出して残しておこうと思う。

 

 

僕の人生は僕のものだし、君の人生は君のものだ。何を求めるかさえはっきりしていれば、君は君の好きなように生きればいいんだ。人が何と言おうと知ったことじゃない。そんな奴らは大鰐に食われて死ねばいいんだ。僕は昔、君くらいの歳の時にそう考えていた。今でもやはりそう考えている。

ー村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』

 

個人の心理と社会の心理、個人の思想と社会の思想は、じつははっきり区別できないんです。すでに述べたように、まったく「個人的な」ことであるなら、他人には理解できないはずですからね。言論は一般的つまり社会的であるしかないんですよ。それでなけりゃ、独り言じゃないですか。

ー養老孟司『運のつき』

 

 

はっきりいってしまうと、学校とは、だれしも少し気のヘンになる思春期の精神病院なのです。

これは実に巧みに運営されていて、入院患者(学生)たちには、決して「私は頭がヘンだ」などと気づかせない仕組みになっている。先生たちも何割か、学生時代のまま頭がヘンな人たちがそろっていて、こういう先生は学生たちとよくウマが合う。何千人という人間のいる学校のなかで、ほんの何人かの先生がこの秘密を知っていて、この秘密を決して洩らさぬように学校経営をやってゆく。いまさら東大生の何割かが精神病だなどと発表されて、おどろくことは何もありません。

試験とは、この頭のヘンな連中に、「私は正気だ」と確信させるための手続きであって、そのために彼らの脳裏の奇妙なケンランたる考えとは、全く関係のない問題ばかりが出て、それでこそ勉強はますます苦痛になるが、ともかく答案を書けば、何ほどか、自分は正気だという安心をいだける仕組みになっている。

ゼミナールなどというものでは、頭のヘンなところが、少し露呈してもゆるされるぐあいにできている。私はあるとき、トンカツ屋で、ゼミナール流れの先生と学生たちが、トンカッを食べながら交わしている対話を、ふと耳に入れたことがあるが、一人のピチピチしたかなり美人の女子学生が、大きな声でこんなことを言っていた。

「先生、私、やはり、ゲーテはファウスト第二部を書いたとき、思想的に一歩後退して、神秘主義の中に低迷しているという説なんですけど」

トンカツを食べながらの話題としては、ファウストはいかにもトンチンカンである。私も実は食べていたのだから大きなことは言えないが、チラと見ると、その女子学生の若草いろのセーターの張り切った胸の感じといい、いかにも美しくはつらつとしているので、よけいに悲しくなってしまい、どうして彼女はトンカツを食べながらこんなことを言うのだろうと思って世をはかなむような気持になりました。

ー三島由紀夫『行動学入門』

 

 

日本の世間だけが存在するのであれば、それでいいでしょうね。でも「国際化」するつもりなら、そうはいきません。金融の自由化なんて、本質的にはおそらくさしたる意味はないですよ。だれがお金を持つかの違いにすぎない。生きることは、お金を手に入れることではありません。私のいう国際化とは、日本人が人として生きること、さらにいうなら、生きることの模範になることです。

むずかしいでしょ、生きるって。こんな簡単なことは、ほかにないからです。動物ははじめから「生きて」ます。それを籠に入れて、まったく動けないようにして、餌えさと水が目の前を流れるようにしてやる。それがブロイラーです。だれかの生活がそれに近づいたとき、見ている人から「生きてない」って表現が出るんでしょうね。餌も水も十分、病気にもならず、長生き。でもなんか変。「生きてない」ように見える。
どうしたら「生きられるか」、そんなこと、私に訊かないでください。わかるでしょ。その疑問に「自分で」答えること自体が、「生きる」ってことなんだから。

ー養老孟司『運のつき』

 

 

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振り向いたら

アイツは手を振ってて

振り向かなかったとしても

手を振ってて

振り向けて良かったーと思った

ー小林じんこ『風呂上がりの夜空に(5)』

 

 

 

 

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はーあ。世の中には今日もこうして色んな想いがあり言葉があって素敵だな。でも今は昼間の猫のようにゴロゴロしていたいから、どーでもいい気分でもある。まあいいや今は手放しておこう。ゴロゴロにゃー。

 

 

 

 

 

 

 

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2件のコメント

お疲れ様です。読みながら笑ってしまいました^^
読書という行為はその時のモチベーションというか、精神状態に大きく左右されませんか?今ちょうど太宰の「斜陽」読んでますが(もう繰り返し読んでる作品)意欲高い時に読むと一つの文や台詞に「凄い!とんでもないもの読んでしまった!」と雷に打たれたような衝撃を受ける時があります。が、逆に意欲低い時に読むと「ごちゃごちゃ理屈ばっかでくっだらねー!」で終わります。結局は人間の脳って都合の良い誤作動ばっか起こしてるんだなー…って結論に達しました。読書は「暇潰し」で読むのが一番楽しいのではないかというのが今のところの結論です。けど、なんだかんだ言いつつも漫画も小説もエッセイも素敵な言葉がたくさんあって好きですけどね(^^)

ゴロゴロにゃーしてるFukiさんも可愛いのでOKだと思います。あとFukiさんの渋い本棚好き。笑

naokiさんこんばんは。こちらこそ笑ましたw「斜陽」ですか。ゴロゴロにゃーが終わったら読んでみようかなぁ。「結局は人間の脳って都合の良い誤作動ばっか起こしてるんだなー…」まさにこれです。くっだらないのは私たちの脳みその方ですね笑 無駄に意識高くなったり低くなったり、そんな徒労に付き合わされるくらいならいっそずっとゴロゴロにゃーな生き様を貫こうかと思いますが、やはりいつかは読みたくなってくる。。まあでも、私たちがそれを美しいと感じるか否かに関係なく、美しい言葉はいつも美しく存在しています。と思います。

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