お前は何を求めてるんだって話。漫画の連載、スピーチ、婚活、夢、不安などなど。

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最近のこと。ちょっと長いです。

 

最近はなんだか慌ただしい。

まず一つ、角川(KADOKAWA)の運営する、あるニュースサイトで漫画の連載が決まりました!だから最近は編集者の方とのやりとりと漫画の執筆をしている。(まだ掲載の日が確定してないので告知はまた…!)

 

前に書いたエッセイ漫画の描き直しなので、一から話を作るわけではないので難しくはないはずだけど、それでもネームを提出すると所々手直しが入って返ってくる。しかも「より良く」なって返ってくるのだ…!「このセリフを入れ替えましょう」「このコマは無しの方が分かりやすいです」…そう言われて初めて、確かに!本当にその通りです!!と思う笑 さすがプロという感じで、返す言葉もない。

 

しかし編集者とのやりとりにもまだ不慣れなことばかりだ。しょうがない、初めてなんだから、と自分に言い聞かせる。きっとやっているうちに「こういうネームはここが直されるな」とか「こういうことはしっかり質問したほうがいいな」とか勘が育ってくるんだと思うけど、、なんせ初めてのことばかりで、直に欠点を指摘されたり否定なんかされてないのに、自信がなくなってくる。打ちのめされたわけではないけど打ちのめされる。

 

不安

 

不安、である。「仕事」としての漫画を初めてやってみて、それはとても嬉しいんだけど、やってみて、こんなことをいつまでも続けられるだろうかという不安が出てきた。

 

漫画を描くのはまぁ〜〜時間がかかる。そんでもってそれをちゃんと「売れる」商品にしなければいけなかったり、ネームを何回も直したりと、今後もこんなことがずっと続いていくかと思うと、想像しただけで挫折しそう。漫画家ってすごい。ほんとに。さぞ孤独だろうな、と思う。だって時間をかけるほどいい漫画が描けるというわけでもないし、絞り出して捻り出して、それでも編集の方に「×」と言われれば1円にもならないのだ。そんでもって、それでもなお「正解」の漫画なんてない。誰も正解を教えてくれない。。

 

うーん、うまく言えないけど、とにかく漫画家ってすごいなと感じたし、こんな修行みたいな道を果たして歩んでいけるのか不安だ。いつかエッセイじゃなくストーリー漫画でちゃんと連載(掲載)されたいという夢が私にはあるけど、「よし、ここらで一つちゃんとしたストーリー漫画を描くぞぅ!」と8月に構想を練りはじめたけど、練っても練っても一つも完成しないでもう11月になりそうだ。これもダメだ!!あれもダメだ!!ばかみたいにくだらないものしか生まれてこない。これがほんっとうに難しい!!だから手を動かすことが怖くなってさらに書けなくなる。何度やっても敗れるから、書かなければ敗れることはないから書かないことが一番楽になってくる。あーもう本当に頭がぐちゃぐちゃだ。

 

 

…って頭がぐちゃぐちゃになってる最中に、ある団体の方に呼ばれて大勢の前でスピーチしてきた。(なんでだよ笑)

 

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選挙前ということで。私は特定の政党を支持しているわけではないけれど、20代の声を届けようってことで環境問題について思うことを話してきた。

 

私はこれでも一応、松本では「環境活動家」って(勝手に)名乗っているので声をかけていただくことが多い。Fukiさん、さぞかし環境問題に熱心に向き合っているのでしょう!ってイメージされると思うけど、、、別に、である。もちろん気持ちはある。気候変動は世界が喫緊に取り組まなければいけないものだとは常に思ってるけど、じゃーあなたは何をしてるんですか?って、別にできることをしているだけである。自転車に乗ったりゴミを減らしたり…そんな小さなことは、私にとっては意味があるんだけど、世界にとって意味があるかは知りません。全くの無意味かもね…とか心の隅で思いながら喋っていた。でも思ってることは伝えてきたよ。

そのあと、その日同じく登壇していた方に「ぜひ教えてほしい。我々(高齢者)が若者のために何をすべきなのか…!」と質問されたけど、、そんなの分かんない。世界を良くしたい、なんて誰もが思っていることで、「世界を悪くしたい」なんて思ってる人はいないし、、だから私は声は上げるけれど実際何をするのが「正解か」なんて分かんない。無責任な言い方だけど。人類に絶望なんてしてない。

 

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先週末は松本の商店街で行われたイベントで、「10年後の松本の姿を語り合う」「脱炭素・ウォーカブルな街の実現へ!」って題目でトークセッションをして来た。

 

「若者は出会いが少ないことに悩んでますね。わたし気付いたんですよ、日中、街中歩いても車とは何百台もすれ違うのに人とは数人しかすれ違わない…!これは出会いが少なくなるわけですね。街には何万人と若者がいるのにその若者といえばマッチングアプリに頼るしかないという始末。それが、ウォーカブル、つまり実際に人の顔が見れ人が集う街になれば、若者も今以上に街に出てくる気がするんですけどねぇ。不純な動機ですけど。しかし同時に何よりもピュアな動機でもありますよ!」

 

なーんて、つい話の流れで、このブログでいつもわめいているようなことをしゃべってしまった。ちなみに横の横にいるのは市長である…!!(笑)はァ、まさか市長の前で「マッチングアプリ」と言うなんてね。まあその発言には市長が思った以上に食いついて来てくれたから助かった(笑)

しかしこうやって人前で話す度に、私は人前で何かを話せる器なのだろうかと疑問に思う。全ては松本に環境問題に取り組んでいる(と名乗る)若者が私以外にいないことが原因だ!だから私なんかが呼ばれてしまうというわけ。それにこれはひとえに、「私が(比較的)若いから」声をかけてもらえるのだ。別に、私が何か実績を残しているからではない。私は何者でもない。

 

「はぁ〜〜〜⤵︎」

 

んな感じでぐちゃぐちゃの頭で家に帰ると、またわけのわからない漫画の下書きが待っている。

 

また来た、『不安』。

 

その日イベントで会った同年代の人たちがみーんな立派に見えた。世界を旅して、市の役員をやりながら農園をやってます、って人。市議を辞めて今月末の県議員選に出馬しました!って若い人。右も左も、みんなちゃんとした職業を持っている人たちだ。一方わたしは何なんだ?環境問題も、気持ちを持ってるきりでたいした変革は起こせていないし、ほんとうにやりたいと言っている漫画だってこのザマである。打ちのめされている。

 

夢を叶えるに年齢は関係ないって思ってるけど、思えば年末には27歳になるし、最近YouTubeで昭和の婚活ドキュメンタリーを見るのにハマっているんだけど(すごく面白い…!)そこに出てきた彼女たちの焦りというか、「ああ、20代の頃はいつでも結婚できると思ってたのに、あたし、いつの間にか妥協しなければいけないところに来てるのね…!」という絶望感…、男性に条件を求めるばかりで一切「選ぶ側」でかつ「受け身」であるあの感じ…あれがなぜか生き霊のように私の心に入り込んでしまって、「27歳…!結婚のために行動を始めるのには遅い部類なのか⁈」なーんて、今までにない焦りを抱いてしまっている。やっぱダメだね、誰かをバカにしたり絶望に陥れて楽しむエンタメを見ると、ちゃーんと自分に返ってくるね。でも27歳になるという現実に変わりはないのである。

 

「いい歳して」

 

呪いの言葉である。私は夢を追って就職せずに実家に住んで、でも何ができているだろう?別に一生独身でも夢が叶わなくてずっとフリーターでも、誰に迷惑をかけるわけではないから、本質的に自分が生きたいように生きるのに「許し」はいらない。一人で生きていける自信は多分にある。なのに、、どうしてこんなに怖いんだろう?人と違うことが。「まっとうな」道を歩まないことが。

 

えっと、ちょっと待ってよ、私は何がしたいんだっけ?

 

何が怖いんだろう?自分に何かがないことが不安で、それが分かっているなら、それを掴みにいくだけである。いざ「これを」と決めたらどんな手を使ってでもそれを手に入れる勇気も行動力も私は持っている(はずだ)。それが結婚だろうと正社員だろうと何だろうと。でも私はそれが「漫画」じゃなかったのか?いや、、それが連載をちょっとやってみてるだけで「あーこんなのはもう無理。」なんて打ちのめされているから不安が出てきているんだ。で、こんなことを調べ始めている自分がいるわけだ↓

 

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それでだれかと結婚して、ごくフツーにアパートの一室で暮らし、ごくフツーに子どもを産み、ごくフツーに朝ごはんをたべ洗濯をし働き食器を洗ったりテレビを見たりする、それのどこが悪いというのだろう?むしろ、「人生」で得られるもののうちにそれ以上のものがあるというのだろうか?という気がしてくる。

 

いいとこ取りはできない。全部手に入れることはできないのである。できるかもしれないけど(笑)←ほら、ここが中途半端だから「不安」なのだ。それらを全部放棄してでさえ自分の「掴みたいもの」を一点に絞って掴みにいけばいい話なんだけど、それはすごーく「孤独」である。人と違うことは孤独である。だからこんなことぜんぶ辞めたい、と思う。

 

あー、もーやだやだやだやだぜんぶやだ…

 

 

 

 

 

…って思ってたら生理だった。なーんだ生理かぁ。毎月こんなんなのに、分かっているのに、未だにちゃーんと振り回されているのである。

 

 

さて。じゃあ現実に、「どうしよう」?

 

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でもなぁ。。「結局こんなことしたって世の中にはくだらない仕事ばっかじゃないか」というのが心の底にある。私は「本当に人の役に立っている」と実感できる仕事をしたことがない。旅館で働いたときは、お客さんはたくさん食べ残しして厨房では残飯の山、従業員のヒステリー…「こんなことみんな同時にやめちまえ」と思いながらそこにいた。プリンターの修理だって、プリンターがなくても人は生きていけるし、塾講師だって、教えていることは本質的には無意味なことだと思っている(因数分解とかド・モルガンの法則とかねw)。私の代わりはいくらでもいるし。

 

そう、どうやったって地球を汚して誰かの時間を奪う「くだらない」ことに加担することになるんだ。

 

くだらないくだらない…。

 

いや、そうやって労働や社会を拒絶することは簡単だ。「くだらない」って私は言うけど、じゃあなにがくだらなくないのかって話。

 

わたしにとって「くだらなくないもの」って一体何?

 

ってことを想いながら、さっき食器を洗っていた。ふきんでテーブルを拭いた。お風呂の残り湯で洗濯機を回した。

 

「お前は何を求めてるんだ…?」

 

わけが分からなくなった。求めるものを必ずしも明確にすべきなのか?でも、なんだろう、こうして目的もなく向かうところもなく実家でテーブルを拭いたり床を掃いたりしていると、とてつもなく自分がここにいなくてもいいような気がしてくるんだよな。どこに向かっているのか分からないなら自分の輪郭なんてなくてもいいと思えてくる。それは「死にたい」じゃなくて、別にここに「自分」としての「自分」がいなくてもいいじゃん、というのに近い。。

 

夢…?

目的…?

 

そんなものがなければやっぱり人は生きていけないのか?まぁこんなこと考えるのは暇な証拠とも思うけど。

 

うまく生きること。

「正しく」生きること。

 

 

解剖学者の養老孟司先生は、「効率効率、ってみなさんよく言いますけど、効率を求めるなら生まれた次の瞬間に死ぬのがいちばん効率がいいですよ」って言ってた。

 

そう、そうなんだよな、お皿を効率よく洗う、人と効率よく付き合う、効率よく道を走る…。そうして効率よく日々を過ごして効率よく死に向かいたいんなら最初から生きていないのが一番効率がいいんだよ。それでもなお「生きる」んなら「効率なんて求めてない」ってことになる。するとじゃーあたしたちは何のために生きてんの?って話になるけど、たぶん、「何のために?」を見つけたいってのは、生きることを「効率よく」説明したいからに他ならない。だから、「なんのために生きてんの」っていう質問は矛盾を抱えていることになる。そう、そんなこと考えるのは最初から無意味なんだよな。

 

生きることは別にどこかに辿り着かなければいけないものではない。生きることがこの一瞬一瞬を生きることに他ならないなら、じゃーあたしは今夜もこの毛布の温もりを味わって眠ろう、朝になれば鶏の声で一日の始まりを感じ、あとは太陽浴びたりお茶飲んだりパンをかじったりして「おー、生きてる」なんて思ってればいーんじゃないの?しらん。だけどよぎるんだよなぁ、「不安」が。みんなどーやってこれと付き合ってるの?

 

あ、そうそう、生理だった。

 

その不安を一生「生理」のせいにしてられれば楽だけど(笑)、残念なことに生理がずっと続くわけではないから、断固、決めなきゃいけないな、「私は何を求めてるんだ」ってことを。

 

ま、とりあえず、この地球がなければ求めてるものも求められなくなっちゃうから、みんな、今月末の衆議院選挙では気候変動に向けた政策を選択の観点の一つに入れてほしいな!ってことです。(このオチ違うだろ)

 

 

うーん、頭ぐちゃぐちゃ。

 

 

 

 

 

 

 

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1件のコメント

連載決定おめでとうございます!
いよいよデビューなさるわけですよね、パチパチ☆

イベントで登壇したんですね。
今度出るさいはよかったら教えてくださいませ。
みにいきたいです。

〉いいとこ取りはできない。全部手に入れることはできないのである。できるかもしれないけど(笑)←ほら、ここが中途半端だから「不安」なのだ。それらを全部放棄してでさえ自分の「掴みたいもの」を一点に絞って掴みにいけばいい話なんだけど、私は分かった。それは、すごーく「孤独」である。人と違うことは孤独である。だからこんなことぜんぶ辞めたい、と思う。

きのうの夜、おんなじようなことでぐるぐるしていました。
旦那に「いつ書くの?今でしょ!」と又言われました。
(「今日かることは明日やる、明日やれることは明後日やる、明後日やれることは・・・」がモットーの福祉事業所in佐久を引き合いに出して反論するのが定石となってます)

何かをあきらめる=犠牲にしないと本当にやりたいことで大成はできないのかな?仕事が充実・高収入、プライベートでは多趣味で家庭も充実~みたいなキラキラした人がよくメディアでは紹介されてるけど実態はどーなんだろ?そういえば昔好きな小説家のヒトが、「お菓子作りが趣味だったけど、今はゆっくりつくっている暇がない」という話を書いてたなぁ、とか。
ちょっとズレますが、「プライベートがダメな時ほどよい作品が生まれる」って歌人サンもいました(新婚生活ラブラブ?←死語かw期はまったく書けなかったけど、離婚調停~孤独期にはなぜか溢れてきたのだとか)。
私自身は、昔だとテスト前とか・今なら掃除しなきゃあああ!みたいな「追われてる」時に、だーーーーっと書けちゃう時があるけど長くは続かないという感じです。

ついさっきまで見てた番組(数日前の録画)で
「人と違うことを成し遂げようと思ったら、フツーの人と同じことをしていちゃあいけない」と
画家のお父さんから教わったというお話がありました。
その人は音大生時代に病気で右手では弾けなくなり、左手だけのピアニストとしてデビュー→以後長年に渡り活躍を続けているということでした。
左手のピアニストとしてやっていくと決めた時、誰もが反対したけれどもこのお父さんだけが「他の人がやらないことにこそ、挑戦すべきだ」と応援してくれたそうです。

私は
人生の節目節目で保険をかけながら生きてきて
結局、失敗を恐れ何にもチャレンジしないままラクなほうラクなほうへと流れ保険を使う道ばかり選んできました。
時折、「こんなぬくぬくした場所に居ていいのか。殺伐とした環境に身を晒して追い込まれてこそ、書けるのではないか」と思ってしまいます。

とりあえず保険を食い潰し
結婚して子どもを産み、掃除や洗濯して生活してはおりますが
全然フツーじゃないことだけは確かです。
フツーに生きるのさえ難しい者も居るってことでw

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