こんにちは、フキです。
3ヶ月間のヨーロッパ旅行の半分が過ぎました。
ここまで来ての率直な感想。
疲れた〜〜〜〜!
1ヶ月半にいろんな出来事が凝縮されすぎて、頭がパンクしそう。
楽しいけれど!キャパオーバー。
ブログ記事も、更新が遅くてごめんなさい。
誰かに伝えたいことがたくさんあって、ありすぎて、でも疲れて倒れそう。笑
でもこれからも徐々に記事かいていきますので、懲りずに たまーにチェックしに来てね。
よろしくお願いします(๑˃̵ᴗ˂̵)
で、最近はなんだか疲れたので、今回は気だるい記事を書きます。
トピックは、「ふらふら生きること」について。
今回は、日本から一番近いヨーロッパと言われている、北欧の国フィンランドからお送りします。
森と湖の国、フィンランド。
私は以前からずっとフィンランドに憧れを抱いていました。
それは何より、あの有名小説、『ムーミン』の作者がフィンランド出身であるから。
私はムーミンの小説が大好き!
さて。
その日、アイルランドWWOOF(ファームステイ)と、ノルウェーでの休暇を終えた私たちは、これからのフィンランドでのWWOOFを控えて、首都ヘルシンキで滞在していました。
ヘルシンキ滞在最終日のこと。
その日は、旅のお供、杏ちゃんと別行動での一日を過ごしました。
「今日はお互い、好きなように一日を過ごそう!」と杏ちゃんは朝早くから出かけていったのですが、一方で私は「今日一日、何しよう?」と途方に暮れていました。
なぜなら。
私、めちゃくちゃ“観光下手”。
観光地で下調べをしたりGoogle Mapを探って名所をめぐるような旅がとっても下手くそ。
歴史的建造物やショッピングなんかも、行けば行ったで楽しいんだけれど、できればそれよりも、カフェや公園でゆっくりしてるのが楽だし、好きだ。
極度の面倒くさがり屋。
だから私は、観光地で積極的に動けないのです。
でも心の底では、そんな性格を負い目に感じていました。
だってわざわざ日本から遠くに来て、巡れるはずの観光地を見ることもなくダラダラしてたら、損しているような気がして。
これじゃダメな気がして。
そんな不安な気持ちから、その日私は、行きたいところは明確に決めていなかったけれど、ヘルシンキの駅をさまよっていました。
どーしよっかな…
何しよっかな…
どこ行こうかな…
ヘルシンキ近郊には、日帰りで行ける島や古都、ミュージアムがたくさんあります。
その全てがここヘルシンキ駅から行くことができます。
どうしよっかな。
今、午前10時。
島行くにはもう時間が厳しいし、古都もあんまり興味ないしな。。。
ムーミン好きだし。
ヘルシンキから電車で片道2時間かあ。
うーん微妙に遠い、、めんどくさいけど、せっかく丸一日あるんだし。
行こうっと。
そうして私はローカル線の切符を買い、電車にのりました。
駅員さんに聞いたところ、ローカル線では直通ではムーミンミュージアムの町にはいかないとのこと。
「終点で乗り換えてね。」
「直通もあるけど、電車をグレードアップしなきゃいけないから、特急券買い足してね。」
ええ~、じゃあいいや、ローカル線で。
電車に揺られ1時間弱。
終点駅で降り、ムーミン博物館行きの電車を調べると、次の便まで1時間以上の待ち時間がある上に切符の料金も高い。
がーん。
「…んじゃ、そこまでして行きたくないな」と、ムーミンミュージアム行きは断念。
せっかく遠くまで来たので、駅から出て周辺を散歩することにしました。
大きくもなく小さくもない、住宅街。
特に珍しいものもないし、祝日のためお店もほぼ閉まっている。
はあ。
訳の分からない小さな町で、途方もなくダラダラふらふらしている日本人がここに一人。
あまりにもあてのない散歩に、なんだか不安な気持ちになってしまいました。
私の一日、こんなんでいいのかな。。笑
なんという計画性のなさ。
なんという自己決断力のなさ。
ていうか、今日一日、「何かしなきゃ」と思ってて、こんなんじゃダメだと思いながら、
本当はそもそも、今日やりたいことなんて一つもなかったじゃん。
でも何か不安な気持ちから、こんなにふらふら動いちゃった。
今、私は私がどこに行きたいのか分からない。
自分の行きたい場所を知らないから、電車の切符さえまともに買えない。
困ったよう。
まあ、当たり前のことだけれど、「私はここに行きたい」という意思がない限りは、私はどこにも行けないし、誰も私のことを助けられないんだなあ。
そんなふうに思いました。
行きたいところがあれば、人に道を聞けるし、そこに行く電車にだって乗れるけれども、私は今何をしたいのか自分さえ分かってないんがから、誰も私を動かせないし、助けられないよなあ。。。
(そんなばかな…)
行き先もわからず、ふらふらふらふら。
ふと思いました。
これって私、まるでニョロニョロじゃん。
ムーミンのお話に登場するキャラクター、ニョロニョロを知っていますか?
きのこのような、もやしのような、怪しい出で立ちの白い彼ら。
ムーミン小説の中で彼らは「ふらふらあてもなく漂う存在」として描かれています。
ものを食べることもなく、言葉を発するでもなく、感情を表すでもないのですが、彼らはいつでも、ただただ、次の地平線へと向かってふらふら動き続けています。
詳しくはこちら↓
https://www.moomin.co.jp/character/hattifatteners
(余談)
そんな あてもない放浪の暮らしに憧れを抱いたムーミンパパが、彼らと生活を共にしたというエピソードを含む話もあります。
はあ。
私は今、確実にニョロニョロだ。
私はニョロニョロ。
「今日、私は何が何でもここに行きたい」
という意思はないけれど、ふらふらあてもなく動いている。
確固たる意志がなければ、私はニョロニョロのように漂うしかないんだ…
「わるい暮らし」かあ…
…そういえば私、一年前もこんなんだった。
就活を辞めて仕事に就けなくて、でもやりたいことも分からなくて全て手探りで、成り行きにしか身を任せられなかった一年前の私。
あーあ。
私っていつもそうだ。
何かを決めることなく、まっすぐな道なんか歩けなくて、ふらふらしてて。
海外に来たって、全く変わらないじゃないか。
今日だけじゃない。もはや、
私の人生そのものが、ニョロニョロのような、あてのない「わるい暮らし」だったらどうしよう。
あーもう疲れた。
考え疲れた。
たぶん、旅においても人生においても、その手に切符は持っているのかって、すごく大事なことなんだろうな。
「私はここに行きたい」という切符。
その手の中さえ見れば、乗車駅も、プラットホームも分かるから。
私は切符をまだ持っていない。
でも・・・
よく考えると、
そうは言っても、
他の人たちだって、みんながみんな、人生の切符を持っているのかな?
人生の行き先。目的地。
それを、「夢」とも言うのだろうけど。
必ずしも全員が自分の未来が見えているわけではないし、やりたいことが分かっているわけではない、と私は思う。
(…けど…どうなんだろう?)
だって自分のやりたいことが見つかっているって、それってほんとにすごいこと。
そしたら必然的に、誰だって迷い道をふらふらに歩くしかないし、
まっすぐな道なんか、見つからない。
ニョロニョロな人は実はいっぱいいるはず。
フィンランドをうろうろしていた、あの日の私のように、やりたいことも目的地も分からず、不安げに日々を漂うしかない人。
ふらふら生きるニョロニョロたちに、私はすごく同情しちゃうよ。
私も、ニョロニョロみたいだもん。
…ここでふと思った。
ところでそもそも、ふらふら生きるのって、そんなに悪いことなのかな?
夢や目的を持たないで、なんとなーくふらふら生きること。
それってそもそも、誰かがだめだと言ったっけ…?
「ふらふら生きる」といえば。
これまた『ムーミン』の登場キャラクターの一人に、ヨクサルという男の人がいます。
彼は世界を放浪する旅人です。
実はヨクサルは、あの有名なキャラクター、スナフキンのお父さん。
(ご存知、スナフキンといえば、自由と孤独を愛しリュックひとつで世界を巡る旅人です。)
似た者同士の親子ですが、 スナフキンとヨクサルの違うところは、
ヨクサルは根っからのダラダラ人間であるということ。
動くのが大嫌いで、いつも寝ているか食べているかしかしていないヨクサル。
寝て、起きて、食べて寝て。
生きる目的も目標も特になく、彼は
人生に起こり得ること全てを成り行きに任せています。
彼の生き方こそ、ふらふら生きているとしか言えません。
ヨクサルが登場するのは、『ムーミンパパの思い出』という話。
孤児院からの脱走を果たし、自由の味を知ったムーミンパパは、森の中で出会った仲間たちと古い船を修理して、大海原へ旅に出ます。
しかしその中の一人、ヨクサルは、船の修理も料理の用意も手伝わず、サボってばかり…。
ヨクサルに若干 怒り気味のムーミンパパ。笑
ついに船は完成。
川を下り森を抜け、フィヨルドから海に出て、目の前に大海原が広がっていきました。
冒険の始まり!
感動して言葉を失う仲間たち。
すると。
普段はまったに動かないヨクサルが、おもむろに起き出してきて、一言、こう言いました。
「なんて青いんだろう。まっすぐに進もうよ。波にゆられてねむるだけで、どこへも行きつかなくったっていいじゃないか。」
私はとにかくこのセリフがすごく印象に残っていて、ヨクサルの生き方をもろに表した言葉だとも思います。
寝て起きて、ふらふら生きて。
“どこへも行きつかなくったっていい” と彼は言う。
なんだろうこの、中途半端なのに、誰よりも清々しい生き方は。
ニョロニョロとヨクサル
両者とも、ふらふらとあてのない放浪の生活を生きていることに変わりはないのだけど、何が違うんだろう。
ニョロニョロのような、あてもなくふらふらしてどこにも行きつかない生き方はしたくないと思うのに、ヨクサルの言う、「どこにも行きつかなくったっていい。」と言う言葉にはなぜだか、ほっとさせられる。
同じ生き方に見えるけど、真反対のようだ。
何が違うのだろう。
そしてふと思った。
ニョロニョロは、行動の起点が不安にある。
でもヨクサルは違う。
そこなんじゃないかな。
ニョロニョロは、同じ場所に留まることを良しとせず、いつでもソワソワしていて焦っていて、喜びもなくとにかく移動し続けている。
一方、ヨクサルは、寝て食べて生きること以外の何も目的としていなくて、成り行きで放浪する。
ただ生きることだけを楽しんでいて、だからこそ最後にはどこにも行きつかなくったっていいと言っている。
ただ、いま、目の前に広がる海が青くて素晴らしいじゃないか、と。
それでいいじゃないか、と。
ヨクサルが、こんなふうな心持ちで生きていたのだとしたら、ヘルシンキでふらふらしていたあの時の私は間違いなくニョロニョロだった。
どこに行きたいか分からないけれど、どこかに行かなきゃ。動かなきゃ。とふらふらしていた。
何もしていない自分自身に対して焦っていて、だからこそ動いていた。
でもヨクサルのように生きたとしたら、私は、あの日、どこに行きつかなくったってよかったんだ。
この空気を吸って、太陽を浴びて、ここにいるというだけで良くて、焦って何かを得ようとしなくてもよかったんだ。
目の前の景色を受け取るだけで、よかったんだ。
ふらふらするにも種類があるんだと、ニョロニョロとヨクサルから学んだ。
だから私が問いかけたいのは…
あなたがふらふらしてしまったその時、あなたはニョロニョロでしたか?ヨクサルでしたか?
その心の起点に、不安があったかそうでなかったか。
ニョロニョロな生き方だって悪くはないけど、私が小声で提案したいのは…
別にヨクサルになってもいいんじゃない…?
ということ。
無責任な提案ですか。笑
でも、ニョロニョロのような生き方に心地悪さを感じているなら、今は別にヨクサルになってもいいんだよー、と私は伝えたい。
空は同じに青いのだし。
あてもない人生を、ふらふら生きてもいいと思う。そこに喜びが携わっているのなら。
…根拠も自信もないけれど。
ただこれだけは言える。
ヨクサルのいたフィンランドには、確かに、「ただ生きているだけでいい」と思わせてくれるような景色があふれていた。
ほら、こんなふうに↓。
湿地に放牧されている牛たち。
空がこんなに青い。
のーーーんびり。
フィンランドの光はやわらかい。
朝の空気に溶け込む太陽。
早朝に、ひとりでこの景色を目の前にした。
この静かさが伝わるといいのに。
そこにいるだけで、嬉しかった。
景色だけじゃない。人々だって…
こんなにのーんびりしてる。
なんだかほっこりするね。
こんなに素敵な光景があるなんて…!
自由だなあ
なぜそこを選んだ。
なんか、すべてゆるゆる。。
らくがきされちゃう。
北欧ってこんな国。笑
ほら、世界はこんなにゆるいです。実は笑
じゃあ別に私たち、ふらふら生きたっていいんだよなあ。。
あーあ、なんかいろいろアホらしっくって、ホッとしてきた。
いい。たぶん、私たちは、どこにも行きつかなくったっていい。
その手の中の切符に、行き先が書かれていなくたっていい。
けれど、ただ目の前に広がる海は青くて、それだけを、今は受け取ろう。
そんなことを思った、
そんなことを思わせてくれた、フィンランド滞在でした。
あなたに届けゆるゆるパワー。
ヨーロッパ旅はまだまだ続きます。
次回の記事は、「森」をテーマに、フィンランドでのWWOOF体験記を書こうと思います。
ぜひぜひチェック^_^
最後に。ヨクサルの言葉。
*・゜゚・*:.。..。.:*・’・*:.。. .。.:*・゜゚・*
歌をうたい、りんごを食べ、朝ねぼうを好きなだけできる自由!それこそが、人生のだいごみというものなのさ。
それと『すぐにやるのですよ』なんて、せっつくひとがいないこと。そんなひとは、かってに、好きなように、させておくのさ!
*・゜゚・*:.。..。.:*・’・*:.。. .。.:*・゜゚・*
深いよ。『ムーミン』。
ヨクサル大好き。
世界が、喜びの涙で洗われればいい。
そしたらみんなで、雨やどりをしよう。
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