あ〜、書くことがない。

 

長い間ブログを放置してしまいました。

何度も訪れてくれた方、申し訳ありませんm(__)m

いや、心の中でずっとブログのこと考えてたから放置なんてしてないんですけど、何を考えていたかというととにかく「あ〜、書くことがない」と考えていました。

 

 

最近、何にも言いたくないし何も言えなくなってしまいました。ツイッターでみんなが主義主張しているのを見て吐き気がしてしまうこの頃です。

 

だってこれだけ言葉が蔓延ってこねくり回されてる世の中を見ると、思想や信念なんかより、実体や行動の方にこそ意味があるのかも、とか思ってしまうんです。空虚な議論より、ゴミの一つでも拾うことのその有意義さよ。

 

だから私もブログやまんが描いてないで、古着のリメイク屋さんでもやろうかな、とか真剣に最近思ってしまうわけです、うーむ。

 

 

 

最近読んだ本で、サン・デグジュペリの自伝書『人間の土地』という本があるのですが(名著『星の王子さま』の作者です)、これは私が生涯読んだ本の中でいちばん高貴な本です。

 

パイロットであった彼は、その飛行経験の中で人間の土地を見下ろします。そして山の上の一つの農家の灯火が、彼の命を救う目印になることを知ります。地図にも載らないほどの小川の存在が、飛行機の生死を分かつと知ります。また、砂漠に墜落し遭難し、彼の身体が「生命」であることを体感し、風や夜空と一体になりつつ彼は水を求めます。

 

本書で彼が繰り返し伝えているのは、地球が教えてくれることは万書よりも多いということ、我々人間は、「土地」からできているのだ、と、そう言った類いのことです。

 

 

 

まあとにかく、言葉とか理念とか、そういうものの届かないところに真実があるんじゃないかと、そう思うようになりました。

 

 

宮沢賢治とサンデグジュペリは似ています。どちらも、星や、花や雲、草木や大地から物語を受け取っているから。秀才は古今東西の書物を読破した人物、天才は自然という書物をそのまま読破した人物、とどこかで読んだけれど、その言葉を聞いて真っ先に思い浮かぶのはこの2人。

 

 

じゃあ私は畑を耕そう、とか思うわけです。ああ偉大なサン・デグジュペリ、砂漠で王子さまに会ったひと。私はここで黙って種を植えよう。「理念」とか「主義」だとかの言葉が届かないところにそっと身を置いて、世界のほんとうを受け取ろう。

 

 

努めなければならないのは、自分を完成することだ。試みなければならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心を通じあうことだ。

ぼくらを豊富にしてくれる未知の条件があるということ以外、何が、ぼくらにわかっているだろう?人間の本然は、はたしてどこに宿っているのだろうか?

ただ、本然というものは、諸君も知られるとおり、世界を単純化するものであって、けっして混沌を創造するものではない。

ーサン・デグジュペリ『人間の土地』より

 

 

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