先日、フランスの作家サン=テグジュペリの『人間の土地』を読み終えました。飛行機のパイロットとしても活躍してたサン=テグジュペリ、代表作『星の王子さま』はあまりにも有名。そして本作『人間の土地』は彼の自伝書です。ああ、私はこんなに高貴な物語を他に知りません。
(にしても文章が難しすぎて最後まで読み切るのに3年かかっちゃった笑)
彼の飛行士としての経験が綴られているこの物語では、彼が、大地や、風や、星空と心を通わせてきた様子が描かれていますが、この書物は、もはや文学ではない、人間が「生命」であることをそのままに書き写したものです。人が水であること、大地から離れては生きられないこと、そして人間がいかにして「創られる」かということ。。ほんとに素晴らしかった・・・。
1.定期航空
2.僚友
3.飛行機
4.飛行機と地球
5.オアシス
6.砂漠で
7.砂漠のまん中で
8.人間
の8章からなるこの物語、やはり見どころは、7章の、テグジュペリが砂漠に不時着し遭難したときのエピソードでしょうか。水を渇望しさまよった日のこと、生死の間で見たもの。「人間」とは何か、「生命」とは何か?そしてクライマックス、汽車の中で一人の少年に出会ったエピソードは、きっと涙なしでは読めないでしょう。
サルトルに始まる「行動派・実存主義」の旗手として知られているサン=テグジュペリですが、その本を読むと彼の思想がどうやって創られたのかが分かります。そう、彼は、夜空、星たち、冷たい砂漠の砂ひとつひとつから生きる理由を受け取ったのです。地球に「在る」ことそれ以上に、彼の命を、生き方を理由づけるものはなかったのです。
すべて彼の実体験から成るこの物語に、私たちは自分たちの中に宿る「生命」を思い出すでしょう。そして彼は物語中なんども、「人間の本然とは何か?」ということを私たちに語りかけます。つまり生命体であるところの私たち、「人間とは何なのか?」という深い問いです。そして物語の結末、その問いに対して彼ははっきりとした結論を与えてくれます。
さて中途半端なあらすじ解説・感想は抜きにして、今回は文章の一部をオリジナルのイラストと共にご紹介します。気になった方はぜひ、読んでみてくださいね。
飛行機の上で…
はるかな高さからぼくらは発見する、地表の大部分が、岩石の、砂原の、塩の集積であって、そこにときおり生命が、廃墟の中に生え残るわずかな苔の程度に、ぽつりぽつりと、花を咲かせているに過ぎない事実を。
努めなければならないのは、自分を完成することだ。試みなければならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心を通じあうことだ。
砂漠で…
さようなら、ぼくが愛した者たちよ、人間の肉体が、三日飲まずには生きがたいとしても、それはぼくの罪ではない。ぼくもじつは知らなかった、自分がかほどまで、泉の囚われだとは。自分に、こんなにわずかな自治しか許されていないとは。普通、人は信じている、人間は、思いどおり、まっすぐに突き進めるものだと。普通、人は信じている、人間は自由なものだと…。普通、人は見ずにいる、人間を井戸につなぐ縄、へその緒のように、人間を大地の腹につなぐその縄を。井戸から一歩遠ざかったら、人間は死んでしまう。
一度あの風を味わったものは、この糧の味を忘れない。そうではないか、ぼくの僚友諸君?問題は決して危険な生き方をすることにあるのではない。この公式は小生意気だ。闘牛士はぼくの気に入らない。危険ではないのだ、ぼくが愛しているものは。ぼくは知っている、自分が何を愛しているか。それは生命だ。
300人ものポーランド人労働者を乗せる汽車で…
子供は、眠りながら寝返りを打った、するとその顔が、燈火の前に浮かび出た。おお!なんと愛すべき顔だろう!(中略)これこそ音楽家の顔だ、これこそ少年モーツァルトだ、これこそみごとな生命の約束だと。
いまぼくを苦しめるのは、けっして貧困ではない。(中略)近東人の中には、幾代も汚垢の中に住んで、快としている者さえある。ぼくがいま悩んでいるのは、スープを施しても治すことのできないある何ものかだ。ぼくを悩ますのは、その凸でも、凹でも、醜さでもない。言おうなら、それは、これらの人々の各自の中にある虐殺されたモーツァルトだ。
ぼくらを、豊富にしてくれる未知の条件があるということ以外、何が、ぼくらにわかっているだろう?人間の本然は、果たしてどこに宿っているのだろうか?
人間の土地 (新潮文庫 サー1-2 新潮文庫) [ サン=テグジュペリ ]
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