ドラマとは人間の本当の姿を描くことです。

 

 

 

私はある、いろんな編集者と繋がれる漫画投稿サイトに投稿していて、たまにメッセージをいただくことがある。

 

たとえば前回の投稿『少女Bについて』にこんなコメントが届いた。

 

 

私たちみんなが物語の主人公になれるわけではなく、ほぼ100%の確率でモブとして生きることになるのですが、そうした「生」の意味について積極的に肯定してくれる作風が持ち味であると感じています。

商業誌での企画につながっていくかどうかは、おそらく次の段階にあります。特筆すべき生き方をしていないのに、目が離せなくなる。この矛盾した要請を満たせるキャラクターを作れれば、この段階に到達したことになるでしょう。

作者の読者に対する愛が伝わってくるようなキャラクターの登場を、楽しみにお待ちしています!

 

この指摘のおかげで「キャラ、とは?」というところを勉強することができた(「キャラクター とは」と調べた笑)。そして先日、新しい作品『物理部のアオちゃん』という話を投稿し、同じ編集者さんから評価が届いた(個展で展示中のため、未公開です)。

 

 

今作、すごくよかったです!

家庭内を生き抜くための処世術として存在論的虚無に陥ってしまった主人公が救済される話、とでもいえばいいのでしょうか。おそらく類似したテーマのものはあるでしょうが、キャラクターを丁寧に考え抜いて作っておられるため、独自性の高い読み物になっていると感じました。

キャラクター作りはできつつあると思うもので、次はドラマ作りに挑んだものを見てみたいです。

たとえば本作のアオちゃんが物理的思考法では切り抜けられない大ピンチに陥ったとしたら、それはどんなもので、どう乗り越えるのか……。Fukiさんなら偶然性に逃げないで、読者にも困難に立ち向かう勇気を与えるドラマを紡げるのではないかと思いました。

 

 

この編集者さんは、作品の良いところを挙げてくれると同時に、課題を一つ与えてくれるのでありがたい。本当に!

 

でも「ドラマ」……。へぇ、ドラマ!

…ドラマってなんだ?

 

 

【ドラマ】

ギリシア語の「行動する」を意味する動詞ドラーンdrānに由来し、普通「劇」と訳されるが、理念と上演様式に分けて考えねばならない。理念としては、何者かとの対立を契機としてあらわになる人間の主体的存在を中心的かつ効果的に表現する一連のできごとをさし、「このダンスにはドラマがある」といったとき、こうした理念の内在することを意味する。

コトバンクより

 

なるほど要するにドラマとは、主人公が何かに対立することで起こる「出来事」とそれに対する彼の「行動」のことなんだ。

 

 

思えば以前に少女漫画誌に投稿したときも、同じようなことを指摘された。「主人公が受け身である。もっと行動を見せてほしい。」

 

しかし私はこの「行動」というのがイマイチ分からない。というのも私自身、問題に対して何か「行動」を起こしてそれが解決されたという経験が人生でほとんどない。個人的に、起こった出来事への「解釈」とか「考え方」を変えることでの方が救われてきた。要するに、私自身が受け身で生きてきたのだ。どこまでも自己完結型。だから物語を描いてもいつも「主人公が受け身だ」と指摘されてしまう。

 

 

だから、「そもそも行動ってなんだろう?」というところから始まる。

 

 

行動って、なんだ?

行動って言うからには、「動き」が伴っているんだろうな。立って何かをすること?まあ、とりあえずは立つだろうな笑

歩くこと。どこかに行くこと。あっ、走るとか?新海誠さんの映画では主人公は必ずクライマックスに走ってどこかに行くけど、ああいうこと?

 

 

 

検索。

 

【行動】

あることを目的として、実際に何かをすること。行い。

コトバンクより

 

 

「目的」、ねぇ。

 

目的に向かって行動を起こすことがドラマの一つなんだろうけど、でも私たちの中に、明確な「目的」を持って生きている人って果たして多くいるのかな。彼氏がほしいとか。志望校に受かりたいとか?でも何もみんながみんなオリンピックの金メダルを目指してるわけじゃないから、夢や目的が見つからなくて、だからこそみんな悩んでるんだと思うけど。目的がないけど生きていく、その姿が新しい時代の賛歌になるとも思うんだけれど。虚無に立ち向かった人にどう目的を持たせたらいいかなんて分からないよ。

 

 

しかしまあそれは置いといて、とにかく私はもっとドラマを描ける漫画家になりたいのです!(目的。)

 

 

 

こんなのも見つけた。

 

ドラマとは、人間を描くこと。

勉強をしなければいけないと思いながら、ついテレビを見てしまう。わかっちゃいるけどやめられない、というのが人間です。そこのところを書くのです。どうにもならない、そのつらい思いが人間なのです。ロボットではないところです。人間を描くということは、人間の心の奥のそうした義理人情でも止められないところにあるのではないでしょうか。

『シナリオの技術』より

 

つまり「リアル」を描くことがドラマでもある。そこには別に、架空の人物を描いてもいい。でも、その人は何をするであろうか、何を想うであろうか。それをありありと思い描けるのが優れた作家であるんだ。だからその人物が「実在するのかしないのか」はあまり重要でない。現実にあり得ることが起こるかどうかは問題じゃない。それが果たして「真実を含んでいるのか」どうかという話で。

 

そもそも物語にメッセージとか作者の言いたいことを込めても、作品が面白くなる効果はまったくありません。

たとえば「男女の間に友情は成立するのか」みたいな答えの出ないことに対して、ストーリーの中で自説を力説されても困ります。「男と女でも友情は成立する!」と声高に叫ばれても「ああそうですか」としか思いません。

メッセージは面白さや感動などを生み出してはくれません。それでもどうしても伝えたいことがあるなら、作り話でしかない物語ではなくノンフィクションでやるべきです。

物語におけるテーマの役割は、人生の本当の姿を描くことです。これが力を持っているのはストーリーを格段に面白くするからです。

物語のテーマはメッセージのことではないより

 

人生の本当の姿を描くことです。

 

私はずっと、人工のものとか人間のやることに真理なんて宿らないと思っていた。でも全然違った。ああ普遍はどこにでも転がっているから、生活を、人間を、もっとちゃんと見ようと、初めて思った25歳の夜。

 

 

 

 

4件のコメント

私はあの就活漫画の、危険な方にかけてみるときのフキさんのパワーが、行動でありドラマでありいちばん魅了された部分ですね。ブログが書けないといったり、漫画を描くのは面倒臭いといってるところや、主人公がまっすぐ正直に思いっきり困難にぶつかっているところに感動を覚えて、やっぱり強いパワーが出るような気がしますな。

しまるこさんこんにちは^ ^
なるほどあれがドラマでいいんですね。行動、もしくは人間らしさ…?
ちなみに私がしまるこさんのブログでいちばんドラマを感じたのは「なぜ女はマネージャーなどやりたがるのか」の記事で、読んでいて涙が出そうになってしまいました。ありのままを書き写す、それが最も真実を含んでいるというのを一番学んでいるのはしまるこさんのブログです、ありがとうございます。https://www.simaruko.work/9130/

あれはウケ狙いで、自分では駄作だと思っていて載せるかどうか迷っていたものだったんですが案外評判がよかったです。別の女性からも泣きそうになったと言われて、まだまだ女性心理というものはよくわかりません。

w

短編ですと情報処理の漫画が好きでした。後は鳥ちゃん達の記事ですね。抽象的な遠いところにあるふわふわ世界よりも、フキさんやフキさんの分身が動き回るような話が私は好きですね。

涙がほろり、でしたよ。

ありがとうございます!自分が主人公とか、自分の目線で話を書くのがそんなに好きではないのですが、ではそれをいかに具体度が高いまま、物語や登場人物に乗せるかを課題にしていきたいです!!

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