講演会を終えて分かったこと。体験したことしか話せないし、一次情報しか人の心を打たない。

 

先月、地元のある高校にて、エシカル消費について高校一年生に向け講演会させていただきました。

 

 

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「買い物は投票である」ということを、主に私のヨーロッパ旅行での体験談を交えてお話しさせていただきました。
環境問題の冊子作りの活動をしている新聞記事を見て、お声掛けいただいた先生のお力添えがあり実現した講演会。とてもよい経験をさせていただきました。

 

 

講演会資料↓

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講演会を終え、一番感じたことは…

“ああ、私は一次情報しか伝えられない”

ということです。

 

 

 

講演会では、話そうと思えば色んなことを話せました。カルフォルニアで森林火災が起きています、とか、シベリアの永久凍土が溶けています、ファッション業界の環境負荷はものすごいですよ、とか。

でも、そんなのってきっと、色んな人にとって「耳タコ」なんです。地球を大切にしようなんて、みんな知っている。それに、地球の裏側で起きていて私が実際に目にしたものでもないことを、どこかから情報を引っ張ってきて「やばいですよ」「関心を持ちましょうね」なんて言っても、誰の心も打つはずがない。。

 

それにそんな情報ならば、私じゃなくったって、いくらでも言えるのです。いくらでも悲観的になれるし、いくらでも情報を強調できてしまいます。講演会に向け、色々と情報を調べているうちに、虚しくなっている自分がいました。

 

 

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ほら、こんなのって、ネットにゴロゴロ転がっている。

それに、「じゃあこれを目の前で見たのか?この写真や情報が本当であると断言できるのか?」と問われれば、私は何も言えなくなってしまうのです。幸い、講演をした高校生たちはとても心遣いのできる子たちだったから、その気持ちをあえて口にしないでいてくれた。ほんとありがと。

 

限界を感じた。

情報を人に伝えることの限界。

 

 

こんな情報を集めてきたからと言って、私が誰かを変えることはできない!そう強く感じた。話しながら生徒さんの空気・視線を浴びていると、誰も何も言わないけれど、そう気付かされざるを得なかった…。

 

 

 

しかし唯一、私が本心でもって真っ直ぐに伝えられたのは…

ヨーロッパに行って、飛行機に乗ることをやめたおじいさんに出会って、私は変わった

このことだったんです。

 

 

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▼このおじいさんとの出会いについては、こちらの記事

【*必読*】地球温暖化に対して私たちができること。行動している人が必ずいる。

体験。一次情報。これは、嘘とか偏りとかのない、混じり気のない「事実」なんです。

 

ああ、だれかに本当に伝えられることって、こういうことなんだな。

そう痛感しました。

 

 

地球の裏側や見えないところで起こっていることに想いを馳せるのは、とても大切なことです。しかし、本当に誰かに伝わるものって、「本当に見たもの」「本当に体験したこと」の方のような気がします。私は、そのことを講演会で学びました。

 

 

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哲学者になるということは、単に難解な思想を抱いたり、学派を築いたりすることではなく、(中略)人生の諸問題を、論理的にだけではなく、実践的にも解決することである。

ーソロー『森の生活(上)ウォールデン』

 

しびれるなァ。私は別に哲学者ではないけど。

そかし最近読む本読む本、みんな「大切なのは論理でない。実践だ、体験だ、何をするかが問題だ!」と口をそろえて言っているのは不思議なところ。そして私もちょうど、講演会で高校生を目の前にして「“情報”や“論理”の限界」を痛感したのでした…。

 

 

ならば、全部全部を経験しなければ人に何かを伝えられないのか?というと、そうとは断言したくありません。そういう情報を見て「心が痛んだ」こと、そして「何かをやってみた」こと、これって、立派な体験だよなぁ、とも思うんです。

なんにせよ、
「だから私はこうしたい」
「だから私は世界をこう変えたい」
から始まる、『だから自分が何をしたのか』ということ。

大切なのは情報とか、データじゃない。どこまでも『主観的な』想いや行動のような気がします。客観性は大切。しかし、ほんとうに誰かの心を打つのは、だれかの本当の想いでしょう?だから、いつだって、「ああ、心だなぁ」と思うんです。

『心』。

とにかく、今回の経験は、私が今後情報や想いをどのように人に伝えていけるかの、すごく良い勉強になりました。

 

「一次情報」。「体験」。「実際に何かをすること」。ここに、個人的に今後の課題があります。

 

生徒さんたちにもらった感想シートの束は、ずっと宝物です。ほんとうに嬉しかったです。

 

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2件のコメント

まさにこれからの時代はメディアに踊らされた物質主義より、一人一人の精神的繋がりが重要視される世の中にならなくてはこの先の未来はないんじゃないかと感じます。感想シートの束を大切に持つFukiさんにほっこりしました(´- `*)貴重な体験談をありがとうございました。

「人が人である理由が人の中にしかないのなら明け渡してはいけない場所、それを心と呼ぶんでしょ」

amazarashi「古いSF映画」より

「人が人である理由が人の中にしかないのなら明け渡してはいけない場所、それを心と呼ぶんでしょ」
びっくりするくらい素敵な言葉ですね。メモメモ。。私もnaokiさんと同じことを思っています。物質の時代は終わりを告げ、これからは心の時代です。

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