今日もお父さんが例のアレをやっていた。整理整頓のとことん苦手なお父さんが、「銀行のキャッシュカードがないーーー!!!」と言って、キレて半狂乱になって引き出しをひっくり返す恒例行事。
理想の男性について考える。(このタイミングで考えるな。)
わたしは頭の良い人に弱い。
私は、頭の良い男の人を見るとポーっとしてしまう。誰かがふとスゴく賢い発言をしたり、瞬時に難しい計算をしたりすると、「あーー、すげーー、この人の脳内でいま回路が飛び交ってるんだな。すごいな、見てみたいな。」と思って、その壮大な回路、ぜんぶ頭蓋骨に収まってんのすごい、と感心してしまう。
私は手フェチだけど、それと同じくらいに脳フェチです。(なんかきもい。)メンタリストDaiGoとひろゆきの論破対決の動画とか、あれは一種の興奮を覚えちゃったな。でもこれが恋愛感情かどうかは分からない。メンタリストDaiGoがいま目の前に現れたとしたら、私は彼にアプローチするよりも先に背を向けて立ち去るだろうから。頭のいい人を見ると、恋心というより、無条件降伏したい気持ちに駆られてしまう。で、お互いの人生、あまり関わらない場所で、目に見えないところで元気に存在しててほしいなと願う。それが幸せだと思える。
↑アダルト・ビデオ
まあエッチさで言ったらこっちの方が…。(月夜見先生の話はもういいよ!)
大学時代の同じ学科に赤池くんという男の子がいて、基本静かな彼は日常的にその頭脳をひけらかすわけではないけど、イザというときに明晰ぶりを発揮した。
森林の測量実習の際、指定された場所を一周して測量し、スタート地点とゴール地点の座標の誤差が全体の1/600以内じゃないと帰しません、というやつがあったのだけど、ゴールまで来て計算すると、
「やばーーーい!!誤差1/250!!!帰れねーーー!!!」と班のみんながパニクっていたら、『帰れない』というセリフに反応したのか赤池くんは、
「ちょっと貸して。」
と言って、彼はさっきまでポールを持つ係でしかなかったのに、突如記録表を抱えて座り込んで、その測量値を黙々と改ざんし始めた。これは単純な話じゃない。林道には長さだけじゃなくて「標高」も、次の測定地に向けての「東西南北」の度数もあり、どこか一点の測定値をいじるだけで辻褄の合わなさが生まれてしまう。出来上がった標高図の変なところに窪地ができたり。距離を図る三角定理どころの複雑さじゃない。そこに南北の角度も標高も加わる!
それを黙々とやってのけた。30地点以上の数値をいじくって、誤差を修正した(こんなことは実務で絶対やっちゃいけません)。
「赤池Magic!!!」
班のみんなは拍手喝采で、その中で私はポーーっとしてしまった。降伏したくなった。その日、山を登って来るとき赤池くんにもらった飴が美味しくて、「世界一ウメェ!!」と言ったら「安い女だな。」と言われて「む…ゆるさん。」と、恨みがましく思ってたけど、そんなことコロッと忘れてしまった。
ところで当時、赤池くんは私と同じ『ももクロ』のファン同士だった。あるとき私はももクロのCD音源をデータ化したくて、しかしパソコンを持っていなかったので彼に頼んだ。
「ねー赤池くん。このももクロのCD、データ化してくれない?パソコンなくってさ。ももクロ仲間のよしみとしてお願い!」
すると赤池くんは
「えー、いやだ。」
と言う。
「なぜ?」
と聞いたら、
「メリットがないから。」
と言った。
ほーーーーーーぅ。。。
あの衝撃は未だに忘れられない。私に感謝されることが彼にとってぜんぜん「メリット」に値しないことはまことに残念なことだった。
話が逸れました。
とにかく私は知的な人に弱い。ああ神さま、私の前に知的で、話が合って、友だち以上の絆でもって話せる、ステキな男性をもたらしてください。とここ数年祈っていた。
…で、突如叶った!
彼は先に紹介した、マッチングアプリの彼だ。外国の大学院を出た文学士。彼とは実は最近になって2度目会った。政治のことだとか、宗教のこと、日本と西洋における「瞑想」の違いとか、相対性理論のこと。私たちはかなり熱くなって色んなことを語り、どんな話題にもいちいちレスポンスしてくれる彼はやはり面白かった。
スタバで4時間話した。ふう。で、
「…だからなに?」
という虚しさがよぎった。
彼は知識をいっぱい持っている。面白い。私の話も聞いてくれる。ユーモアもある。で、だけど、「だからなに?」。そんな謎の空間に私は突如放り出されて、腑抜けた感じになってしまった。私は自分の中にある情熱を誰かと共有したかったはずで、彼からも新しい栄養が欲しかったはずだ。で、それが叶ったわけなのだけど、、私は私で一人でそれを追求している方がキラキラしている、というか、やはり情熱は自己完結しているうちがいちばんきらめく感じがしてしまった。感覚的に。
それを共有できるかどうかって、なんか、そんなに大切なことなのかなぁ、とか思い始めた。
私はいま次元のことで頭がいっぱいだけど、じゃあ彼が同じ熱量で「4次元とは…!」とか語ってきたら、うざいと思う。あっそ、という感じがする。こう、ああだこうだ、3次元空間の歪みがどうたらとか光の速度がどうとか話してると、うるさいな、それより黙って太陽を浴びろよ、という気がしてくる。私が彼に見たのは自分自身への嫌悪感だったのかもしれない。でも、たとえば松本城の広場でひとり太陽を浴びて恍惚としている男性を見たとしても、私は彼の目の前を何も言わずに通り過ぎてしまうんだけど。
たぶん、結局くだらないんだろうな。私の情熱は。自分の中にあるうちが煌めいていて、それを言葉にしたり目の前に現実として叶った途端にやっぱり「あっそ。」という感じがしてしまう。「だからなんだって言うんだよ」。
で、文学士の彼とも結局、別に次に会う理由はないな、と思ってしまった。これじゃ「メリットがない」とか言ってた赤池氏と変わらない。私はないものねだりの気分屋でわがままな奴なんだ。ちがう。ちがくないけど、言いたいのはそれじゃなくて、
・頭がいい人〜
・手が綺麗な人〜
・ユーモアのある人〜
とかタイプの条件を並べたってこんなのまったく無駄だな、という気付きです。
結局、わたしはだれにも何も期待していません、という姿勢がとても楽だったりする。誰ともお付き合いしたことのない人が何言ってるんですかって話だけれど(笑)ついでにもう一つ、タイプの男性を挙げるとすると「放っておいてくれる人」なんだけど、なーんだ、そういえば、ほぼ全世界の男性じゃないか笑
「あなたのことをずっと待ってた」
「何のために?」
「私を放っておいてくれるために」
いつか何かの映画で見たこのセリフがなぜか忘れられない。
現実は深層心理の写し鏡だというけれど、そう、私の望みはいつの瞬間も叶っているのでした。という虚しいオチ。
コメントを残す