とても幸せでとても悲しかった日の日記

 

 

7月10日(土)

 

8時半起き、庭の草むしり、休憩、昼食、リビングのソファで昼寝し、起きてまた草むしりの続き、玄関の掃除、もいっかい昼寝、おきて、そういえば身体がこんなに汗でベトベト、シャワーを浴び、お米を研いで浸しておく。18時半、太郎(いとこ/兄/仮名)が一人で我が家に来る。20時いっしょに夜ご飯を食べる。ごはんのあとはクロと太郎と散歩。明後日には次郎(いとこ/弟/仮名)が松本に来るので、西友でアイスをたくさん買っておく。730円。夜は台所でおしゃべり。次郎が先月、入院中だった祖母に送ってきた手紙に添えられた俳句を読ませてもらう。「ちんちんに 毛がたくさんで おどろきだ」。すると太郎は頼むからそんなものは声に出して読むなという。あいつは先月14歳にもなったのに精神が大きくならないからどこかがおかしいという。

 

体を動かす事は幸せだ。体を動かして、太陽をあびて疲れてシャワー浴びてさっぱりした体でゴロンと寝転がる。すると幸せな気持ちになる。これは私の確固たる幸せの方程式だ。あと時間があること。夏なこと。昨日の夕方、雨上がりのひととき、太陽がこれでもかと照って空が突き抜けるように青で、空気が洗われていた。全てが反射していたのが、奇跡のように美しかった。幸せだ。シンプルで簡単だ。何も付け足すことじゃない。だけどこの国にはその当たり前の幸せさえも受け取れない動物、家畜の命がたくさんあって、今回の大雨でどれだけの命が流されただろう?カモの赤ちゃん、仔猫。綱に繋がれたままの犬、ネズミ捕り機に挟まれるネズミ。だから本当の意味で私は幸せではない。何をすればいいのか。いつもこんなに悲しいから嫌だ。ゴミを拾おう。生きものはみんな健気でさみしい。みんなそれぞれにさみしい。けど小さな生き物はきっともっとさみしい。車の中に入り込んでしまって運ばれて、遠くの場所で逃がされた羽虫は、家族の元へ、自分の家に戻ることはないのだろうか。もうずっと、戻れないのだろうか。

 

7/4に高校時代の先輩から聞いた、マッチングアプリで出会った人のエピソードがとても素敵で忘れられず(「好きな数学者は?」「好きなWikipediaのページは何?」って聞いてくれたんだって)、それでまたマッチングアプリをやり始めてみたけど、本当は心の底ではすべてばかばかしい。いろんなことを棚に上げて皆そんなところじゃない所で幸せを確かめようとするからうんざりする。「彼女と別れたばかりで寂しいので」「そろそろ歳も歳なので」「人肌恋しいので」「甘えられるのが好きです」「楽しみを分かち合えたら」みんなばかみたいだから嫌だ、何を見ているんだろう、何を求めているんだろう?でも私の方だって彼らのほんとうを見ることができないからそんなのお互い様だ。捨て身になって、これ見てくださいと私のYouTube動画を送ると途端にブロックされたりするから笑える。フェアじゃない。私はもう誰にも理解してもらいたいわけでもないし、人は皆んなとことん一人なのはわかっているから、私が求めるものは別に何もないからいい。それが寂しいと思わないのは楽なことだ。私は私の幸せの法則を知っている、太陽・土・時間・動物・お腹がすいた時にごはんを食べること・夏・温度・体の疲れ・ひとりの時間。絵を描くことは好きじゃないけど漫画は大切だ。そこには影や言葉があるから。絵はその骨格になるから必要。私は漫画が好き。次はどんな漫画を描こう、何も思いつかない。

 

動物はいい。何も言わないからいい。人間はしゃべるからうるさい。しゃべるほど頭の中がうるさくて、最近はまるちゃんやオーワちゃんのように黙っていたい。彼女たちの眼差しは本物だと思う。彼女たちの存在には、小指の先まで嘘がない。美しいと思う。動物が太陽を浴びて少し上を見るあの視線は、世界の中で何にも勝る美しいもののひとつだと思う。私もそこにいたい。だから今はしゃべりたくはないなぁ。かなしいとさみしいだったら、かなしいは苦しいけど、さみしいはちょっと心地いいよな、とそんなこと想う夜。夜ふと目覚めて聞こえる小雨の降る音が好きだけど、あと3時間もすれば朝が来るし、私はまた起きて何かをして何かをしゃべらなきゃいけない。時間も場所も、ずっとはここにはいられないから、これはたぶん「かなしい」のほう。

 

 

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6件のコメント

久しぶりにコメント書きます。なんか久々にめちゃめちゃ刺さる文章でした。人間。動物。世界。言葉。孤独。幸せ。生きていれば人は独りきりの存在であることに嫌でも気付かされます。さみしいけど悲しくはない。うん。さみしいはどこか心地いい。

YouTubeは家庭菜園動画、好きです。Fukiさんと鶏たち、可愛い。

naokiさんお久しぶりです!いつも見にきてくださってありがとうございます^ ^ 最近は日記をつけ始めたせいか自分の中で文章の書き方が変わった感じがあり、論理的な文章が書けなくなってしまって、しかし以前よりもっと体感に近い文章が書けるようになった、気がします笑 家庭菜園動画お好きですか!気が向いたらまた撮ります^ ^

こんばんは。初めてコメントします。
フキさんの考え方、それを言葉にしたときの率直さがとてもすきです。
日記を読んで癒されました、というと
とても不思議に聞こえますが
この「癒し」はフワフワきゃわわ..な子猫の動画を見た時に発せられる「癒されるぅ」の世界線ではなく、(子猫に心底癒された場合は別かもしれませんが)
自分でも知覚していない目に見えない心の疲れをひととき温泉に浸からせてくれた、
といった類の癒しなのです。

フキさんの漫画で印象深いのが
道端の雑草の花..そっちの在り方で
生きていたい、(記憶の中の曖昧な台詞ですみません)
フキさんの言葉との付き合い方、
そこから伺える生活は
まさに’そっちのあり方’を感じます。
自分もそう在りたい。そうなら今、ただ呼吸してるだけでいいや。そう思える。
そう思わせてくれる何かに出逢えたことはとてもすばらしい喜びです。
また読みに来ます。

こんばんは、otsukiさん。懐かしい漫画ですね!そっちの在り方、のことを私もいつも考えています。道端の雑草にはいまも教えられることが多い気がしますね。私たちも同類である、と思うと逆にほっとさせられる、不思議です。とてもうれしいコメントをありがとうございました^ ^ わたしも癒されました。 また来てください。

はじめまして 今日YouTubeのノルウェイの森の動画を見てこのブログや色々な活動されている事を知りました。
今僕は二十五歳でFukiさん?と1つ違いです。

↑のブログの文章が他の方もおっしゃっていますがとても胸にきました。
またぜひ本に関する話を聞かせてください。

つーさん、はじめまして!動画見てくれてありがとうございます!ノルウェイの森は大好きな本ですが、うまく話せた気がしていなかったのですが、このようにコメントまでいただけてとても嬉しいです!!また好きな本についてもしゃべってみようと思います^ ^ またぜひいらっしゃってください。

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