言葉の不完全さについての考察。私たちが完全に理解し合うということは起こり得ません。

 

 

先日、自分の半生を振り返ったプロフィールを書いて公開したのだけど、、なんか、しょぼーーーん、だ。公開した日からなんだかブルーな気持ちでいた。

 

というのも、別にこれは私じゃない、という気持ちがしたからだ。いや、プロフィールに嘘はないんだけど、人生の「要所」をかいつまむと、とても全体を表せた気がしないし、なんか大層なことを為したふうにも表せちゃってキモチワルイ。なんだろうこのモヤモヤは。

 

たとえば自分の青春時代のことを、「私はクールな人間だったしタイに行ってステキな日々を過ごしました!」と書いたけれど、これの内容を一個一個深掘りしていくと、、とてもとてもブログでは書けないほどの情けない出来事、バカとしか言いようのない失敗、「青春の痛み」なんて言えないほどの失態を数多くしている。なぜそれを書かないかって?とてもとても書けたモンじゃないからです!!!!

 

何度もいうけど私の生活は基本的に「くそくだらな」くて、取るに足りない瞬間の積み重ねでしかない。

くそくだらねえ毎日。真の「生活」とはこうだ。

 

たとえば今日一日のことをお伝えしますと、まず昨夜は3時過ぎに寝たので、今日は13時過ぎに起きました。この時点で日曜日が失敗しています。もうすでに私は負けています。

 

畑にじゃがいも植えなきゃなー、ほうれん草の植え替えもしなきゃなー、と思いながら、今日もめんどくさくて畑に行けませんでした。その代わり何をしていたかというと、ソファーに寝てこれを一生懸命見ていました。

 

 

 

 

ちなみに1週間前に「一か月間YouTube見ない誓い」を立てていて、友だちにも堂々と宣言したばかりです。それがこのザマです。

 

 

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なんでプロフィールに「ふーちゃんのいいところ」なんて手紙を載せるかと言うと、「ふーちゃんの悪いところ」という手紙をよこしてくれた人がだれもいないからです!!!

高校のテストで取った物理4点の解答用紙をなぜ載せないかというと、その日のうちに捨てちゃったからです!!!

 

 

 

◯言葉にするとなぜ「ズレ」が生じるか?

 

話は逸れるかもしれませんが、最近「言葉」や「認識」の不確かさに打ちのめされています。現実を脳で認識するとき情報が歪むし、それを言葉にしようとするとこれまた情報が歪むし限定される。プロフィールに限らず、何かをブログの文章として表すときそれは、事実のほんの側面的なものでしかなくって、いつもガッカリ。

 

同じ事実の、ほんの単純な角度から見た平面でしかなくなるし、そこにまた「言葉」の不完全さが加わって、いつも表現に誤解が生じる。そこに嘘はなくても虚構っぽいものは生じる。

 

なんなの?これ。

 

 

この現象についてピンとくる説明を与えてくれたのが、霊能者の月夜見先生という方の動画だ(さっきの霊視の動画から飛んでたまたま巡り合った)。

 

彼女は物理学・数学・宇宙学といった、とても現実的で学術的な視点から霊や魂というものを解釈している方で(もちろん先天的に並外れた霊能力がある方なのだけど)、一瞬でファンになった。この先生については後々記事にしていきたい。

 

 

 

さてこの動画の中で彼女はこう言っていた。

 

 

次元とは情報量の違いです。

意識は多次元、言葉にすると三次元、書き言葉にすると二次元。情報量がカットされていくんですね。

 

 

ああ…なるほど!と膝を叩いた。私は、いくら言葉を重ねても気持ちそのものを伝えることはできないことをずっと不思議だと思っていたし、嘘なんてついてないはずなのに「フキちゃんは会うたび違うことを言っている」と言われたことがあって、ああ、そうかもなぁ、私は嘘つきかも、と思っていた。でも月夜見先生の言葉に腑に落ちた。ああそうか、意識と言葉は違う次元のものなら、そこにズレが生じることはしょうがないのでした。

 

 

このことについて私が感じることを図にしてみました。月夜見先生が言ってることとはぜんぜん違っていますが、私がイラストで表現し得る「想念の次元」および「情報量」の話はこんな感じです。

 

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意識、思っていること、を、このような立体だとして、これは脳が考えていることというより「意識」が感じていること。これそのものを誰かに伝えることはできない。

 

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その中に断片としての「認識」がある。脳で捉えた「言葉」とか。

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その言葉とか認識を繋ぎ合わせて文章にしたとき、初めてこの黄色の四角が「見える形として」表現される。

 

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これは想念のうちの、ごく、いち側面でしかない。

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こんなふうに、全く同じ想念からでも様々なカタチとして文章を作り出すことができてしまう。

 

だから、私の書くことはどこまでいっても二次元的に落とし込まれた、ある意味虚構でしかないから、、だからこそ今後ブログを書いていくことに恐怖もある。誰かと話すときにもいつも同じ恐怖がある。

 

 

だから三次元で意思疎通をするしかない、私たち魂同士が、現世にいる限り、完全に理解し合うということは起こり得ません。

 

というようなことを月夜見先生は言っていた。そっか。そうだよな…。すごく腑に落ちた。とにかく私はここ2日で彼女のYouTubeやブログを読み漁っています。彼女との出会いは今のところ今年いちばん衝撃的な出来事です。

 

 

 

↑特にこの動画はヤバい。ほんとにヤバい笑

 

「私たちはこの世にほんとうに実在するのか?」という問いに始まる、物質世界の成り立ちや、空海の言うところの“色即是空”の意味…この世は無でも有でもない「空(くう)」である、ということを彼女は相対性理論を用いて説明している。

 

ほかにも「有と無」と「空」の違いの話もしてくれていて、この宇宙に無とか有は存在しないんだって。

 

無から有に向かうとき、それは『執着』です。

無か有かに執着し苦しみが生まれるとき、人の心は特殊な場所に向かいます。言ってしまえば地獄です。地獄とは「空」を拒んだ存在が行くところ。

 

わたしは脳天貫かれた。

 

 

今後しばらくは彼女の発信を端から浴びていく日々が続きそうです。

「霊とか私はどうでもいい、いて当たり前の話なので。」と彼女は話す。霊能力者なのに笑

 

気になる方はぜひ。月夜見先生ブログ▶︎コチラ

 

 

 

 

夕方、玄関を見るとオーワちゃんが外から入ってきていた。うっはー!かわいーー!

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このぷりぷりのお尻。あー可愛い。この世がいくら空だとしても、「現実」を生きることも、わるくないよなぁ。

 

 

 

 

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