私はお金を大変にケチる。最近、「シナモンの香りが嗅ぎたい!!」と唐突に衝動が湧いて、楽天アプリを開き、調べるとシナモンの香りの「お香」が20本1セットで285円。どうしても試してみたくて、しかしこれが3セットで買うと550円だと言う。
1セット285円
3セット550円
どちらを買うか…?
15分間悩んだ(笑)そして結局買ったのは285円の方だった。
んでお香を焚くためのケースは、母親が使っているのを以前見たので即連絡。
私の金銭感覚は、つまりはこういうことです。「得する」ことより「お金を使わない」ことに力を注ぐ。よりお得に買い物するよりも、そもそも買わないのが一番の勝ちなのだ。まあ、お香なんて嗜好品を買ってる時点で負けてるって話だけどね(笑)
どうしてこんなにケチかというと、単に収入が低いからである(笑)大学を卒業して、こうやってフリーター・フリーランス街道を突き進んでいる私には、平均年収とか300万とか400万って数字が、他人事のように感じる。他人事っていうか、「私とは関係のないもの」というか。「私はそうなれない」とか「手を伸ばしても届かない」とかじゃなくて、「関係がない」と感じる。別世界の話というか。私の世界は200円をケチるかどうかで15分間悩む世界で、妹の使い古した化粧品を血眼になって「捨てる前にくれ!!!」と言ってる世界で、毎月生理用品を買うのが惜しまれるので布ナプキンに変えてる世界だ(これはコスパいいのか謎だが)まあ、単にそれらを楽しんでいるからいいんだけどさ(笑)
私の実家のある地域は、ここ20年くらいで一気に宅地化が進んで、田んぼや畑が目を見張るスピードで四角い綺麗な一戸建ての列へと変わっていく。
愛犬クロと一緒に近所を散歩していた。ふと、新築の一軒家が目に入った。つい最近まで古民家だった場所だ。四角くて、外壁は淡い黄色で、一部がアルミサッシでモダンな感じ。玄関ドアは我が家みたいに「ガラガラガラ」って横に開けるやつなんかじゃなくて、もっと重厚で西洋っぽい感じの引き戸。閉まる音が静かで、オートロックで鍵がかけられたりするあの感じ。広い駐車場は、白いコンクリートを「田」の字に区切るように芝生が生けられていて、上には大きな雨避けがある。で、そこに停められていたのが、大きくてピカピカな、薄いベージュ色の「Jeep」の車だった。
「Jeep」とやらがどれほど高価なものか知らない。ベンツとどっちが上等なのかもイマイチ分からない(笑)でも、四角い黄色い家の前の白い駐車場に大きなJeepが停められているその光景を見て、その前をクロと一緒に横切って、『ああ、ぜんぶ私とは関係のないものたちだ』と強く思った。
そりゃ他人のものだから関係はないんだけど(笑)ちょっと違くて、言葉を濁さずに言うと、私はこの先、ああいう家を新築で建てることは絶対にないし、「Jeep」なんていう車は絶対に買うことはないだろうと感じたのだ。というか、そう予感した。
別にそれらを否定しているわけでも私の未来を悲観しているわけでもない。それらは素敵なものだと思うし、今の私は頑張っても手が届かないけれど別の世界線の私(例えば大学時代に就活を辞めずに良い就職先に就いて、良い人と結婚して家庭を持ったという、ごく簡単に“あり得た”私)は、ああいう家を建ててああいう車を買っていたかもしれない。「今の私」と「別の世界線の私」は、そうそう違うものじゃない。ごく近しいものだ。
だけど、なんだろう、私は今の私を選んでその身体でこの位置にいて、そこから見たそれらは「すっごく関係のないもの」のように思えたのだ。表札に「TSUZUKU」と、黒い金製の装飾物でアルファベットの苗字が掲げられていて、その一つ一つ、「T」だとか「S」だとか、あれは一個いくらするんだろう?私は今、それらの一つたりとも買うはずがないと思ったら、ああ、ここにあるものは、庭の小さな石の一粒として私とは「関係がない」ものだと、そう思ったのだ。
子どものころはそうじゃなかった。目に入るもの、自分でコントロールできるものが少ない代わりに、ぜんぶが「誰のもの」でもなく「手に入れる必要のあるもの」でもなかった。ぜんぶぜんぶが「世界」だった。大人になるにつれて世界に境界線が張られるのかなぁ?この土地は誰ものもの、借りるのにいくら、所有するのに月々いくらのローン、とか。
で、今(たぶん)大人になった私は、こうして目の前に驚くほど明確な「関係がないもの」が現れて、こう自覚的に世界に線が引かれたのははじめてのことだったので、ちょっと驚いた(笑)
とはいえその「関係がないもの」に対して未練があるわけでもなく、私は素通りしたのだけど、ここでふと思った。
「じゃあ何が関係のあるものなの?」
私と関係があるものたち。それって一体なんだろう?
うーん、よく分からなかった。少なくともこの空。いま吹いている風とか、太陽。これらは私とまだ関係があるものだ。太陽のおかげで、私のやってる家庭菜園はすくすくと育つわけだし、いま私は太陽を浴びてて気持ちがいい。道も、歩ける。スーパー?うん、スーパーで美味しいものを買いたいなぁ、この先もずっと。冷蔵庫?一個あったら便利だよね。実家?今は住んでるけど住めなくなったら違う家を探す。フローリング。掃除をした後のフローリングは気持ちがいいね。アイス?好き。川を泳ぐカモ?もっと好き。私と関係があるものたち。私のペンとか財布とか。道端に咲いてる花だとか…。
とか考えてたら、ふと、インスタグラムで知り合ったある女の子のことを思い出した。
instagram:@vegansakana (2021.12.7)
彼女はカナさんと言って、奇抜な髪型と可愛いファッションがトレードマークの子なんだけど、彼女は「ビーガン」である。彼女は動物愛護の観点から動物性のものを一切食べず身につけず、保護インコのジョニーちゃんと暮らしている。
カナさんは、よく都内のオシャレなビーガンカフェや、手作りビーガンスイーツをストーリーに載せている。ポジティブでポップな発信の仕方が私は好きだ。
ある日。カナさんが「親しい友達」限定のストーリーである投稿をした。朝に飲むスムージーを作っている写真かなんかだったと思うけど、そこにこんなことが書かれていた(うろ覚えだけど)。
私は、冷凍のいちごとかブルーベリーをミキサーにかけることができません。なぜなら、あの硬いものが砕けるような音や感覚に、「わたし間違えてインコとかハムスターを入れちゃったんじゃない?!」と思って、ドキドキしてきてしまうからです。そんなこと絶対にあるわけないんだけど…。
私はなぜかその投稿のことが忘れられない。いつもポップで明るくて、命を大切に思っていて、しかし残酷だったり重い内容を投稿しない。たぶん読んだ人の心が傷付いたり離れていかないように、意識してそうしてるんだと思う。しかし彼女は唯一あのとき、ふと、弱みというか心の底というか、彼女の本質を見せた気がした。カナさんはミキサーをかけるとドキドキしてしまうほど、小さな命が壊れてしまうのを怖がっている。本当に些細な投稿だったんだけど、私はずっと忘れないし、その投稿を見て私はカナさんのことがもっと好きになったのだ。
だから、言いたいのは、四角い家とかJeepとか、表札の浮き出るアルファベットなんかは私とは関係のないものなんだけど、じゃあ何が関係があるかと言ったら、この世界に、インコやハムスターを間違えてミキサーの中に入れてしまったかとドキドキしてしまうから硬いものをミキサーにかけられないという女の子がいることは、関係があることだと思った。うん。よく分からないよね(笑)私も分からないけど、300万や400万よりも、新築よりも車よりも、カナさんのあの投稿は、私にずっと関係があるものだと思ったのだ。
わかんないけど。そんだけです。
よくわかりそうな気がしました。
フキさんの文章や表現は、まるで妻の心の「トリセツ」のようです(笑)