お酒を飲まなくてもいい理由

 

注: この記事はお酒を飲む人を否定するための記事ではなく、ほんとはお酒を飲みたくないのに飲んでいる、そんな人を励ますための記事です。悪しからず。

 

 

 

私はお酒を飲みません。なぜなら飲む必要がないから。この一言に尽きます。

 

お酒は別に、飲み物のなかでも特別に美味しいものってわけではない。お酒よりスタバのフラペチーノのほうが美味しいと、みんなほんとは知っています。うすうす気付いてはいるけれど、言えない。500円の抹茶フラペチーノを一杯飲めば半日も満足していられると知りながら、今日も友達と飲み屋に行き、500円のサワーを3杯も4杯も飲みます。なぜか?

 

みんな、大人はお酒を嗜むものだと、お酒は美味しいものだと、そして、人と人とが語り合うにはお酒が必要だと、思い込んでるからです。

 

 

 

あれは忘れもしない、私が大学に入りたての一年生のときの話。当時所属していたサークルの飲み会で、四年生の先輩に、ビールっておいしいんですか?と聞いてみました。

「うまいんだよ、ビールは。あのね、炎天下の下ダッシュして、ヘトヘトんなって汗かいて、そこで、キンッキンに冷えたビール飲んでごらん。うんまいぞぉっ…!!!」

 

馬鹿じゃないかと思った。よくそんなことを偉そーに言えるなと思った。そんな状況で飲む飲み物で、美味しく感じないものがこの世にあるだろうか。

 

完全に洗脳されていると思った。論理的に考える力さえ奪われていて、年下の女の子に平気で馬鹿みたいなことを言ってしまう。

 

 

 

 

まず。初めてビールを飲んだとき、100人中100人が必ず「マズい」と思います。初めて飲んで「美味しい」と思う人はいません。

しかし「うっ。マズい」と思った初心をその後も貫いていられる人はほとんどいません。なぜならお酒の美味しさが分かることが「オトナ」で、先輩たちみたいに、「カッコイイ」ことだから。だからみんな苦い顔しながら無理して、「これは美味しいんだ、これは美味しいんだ。」「ぼくはビールが好きだ、好きなんだ。」と自分に呪いをかけます。

 

潜在意識への働きかけ、あるいは言霊の力というものはすごくて、じきに功を成します。やがて飲みの席につけば「とりあえずビールで。」とみんな揃って言うようになってしまう。ビールが美味しい理由を人に聞くと、「のどごし」、と、みな約束したかのようにこの曖昧な単語を出すようになってしまう。で、そのことに異を唱える人はほとんどいません。

 

悲劇。

何はともあれ飲酒は、そうしたいと言う意思よりも、習慣と勘違いであるところが大きいのです。

 

そしてこれを忘れるなかれ、お酒はそもそも合法的な麻薬です。飲み会の席で楽しい気分になったのなら、それは麻薬の力です。

 

大人になるってそういうことですか。麻薬の力を借りなければ本心さえさらけ出せない、そういうコミュニケーションを身につけることですか。お酒がなければ間がもたない、そういう時間を過ごすことですか。

 

 

 

去年ヨーロッパに行った時、ビールやワインを勧められて、やっぱりビールの本場でビールを飲まないという選択肢はなくて飲んだけれど、うーん、やっぱり私にはおいしいぶどうジュースが一杯あればいいや、とか正直思った。

 

ああ、このお酒が、この時間が嗜めないことは、感性が育っていないだろうか。文化的に遅れてるだろうか。人生損してるだろうか。私は未熟なのだろうか。

 

うーむ。。

 

知るか。お酒が入ったところで私それ自体はたいして変わらない。人生は続き、新しい明日はシラフの自分からスタートするしかないのだし、大切な決断をするとき、何かを成し遂げるとき人は酔っ払ってなんかいないでしょう。そしてお酒を飲んだって自分を繕えない。お酒に酔っていたとしても、心にあることしか人は言えないから。

 

私はそんなものよりぶどうジュースが飲みたいんだ。そんで、ぶどうジュース1杯で2、3時間も語り合える、そんな友だちがいればいい。だから私はお酒は飲まなくていい。

 

お酒を飲みたくないみなさん、お酒を飲まないなんて人生損してる、なんて誤解は今すぐ捨て、そのことで悩んでいる時間を堂々と違うことに使いましょう。

 

 

 

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