あと1か月で26歳になるきもち

 

 

 

「おれは、25歳にだけはなりたくなかった。」

 

と、去年、10年ぶりに会った中学時代の友達は言っていた。

 

 

 

「24歳になったときはなんとも思わなかったけど、25歳は辛いわ。だって、24は四捨五入しても20だけど、25って四捨五入したら30だから。だから!おれは!!25歳にだけは、なりたくなかったんだ〜〜っ!!」

 

と彼は、四捨五入に対して謎に大きな情熱を注いでいたけれど、まあこんなふうに「年齢」に関する想いってものは、人それぞれにお持ちのことだと思います。

 

私はあと一か月ほどで26歳になりますが、25歳への未練は全くと言っていいほどありません。5より6の方が、語呂的にかわいいじゃん、とか思うほどです。

 

2年前に派遣で行ったプリンターの修理工場で、歳は?と聞かれて23と答えると、「わかっ!!!!えっ、びっくりしちゃった!!」と言われたがこれには「ええ、そりゃ若いですもん。」と思いました。今年の夏にぶどう農園にバイトにいって、ノースリーブを着てたら農園の奥さまに「まあ若いわねぇ」と言われ、「ええ若いですよ」と答えて笑われた。

 

ええ私は若いですよ。ハタチの人から見ると分かんないんだけど、まあ一ヶ月後26歳になった私も「ええ私は若いですよ。」と堂々と言ってると思う。というのも、そもそも私は若さへの執着というのがあまりなくって、それはなぜかというと、若いということがそんなに素晴らしいと思っていないからです。

 

私の人生で最悪だった時期は15歳〜19歳のときでした。それは一般的にみれば黄金の青春期ですが、当時の私はというと、劣等感に苛まれ、自己肯定感が低く、夢なんてひとつもなくて、おまけにしつこいニキビにも悩まされていて、成長期の真っ只中で体重管理もうまくできず、もうとにかく精神も肉体もめちゃくちゃな最悪の時期でした。

 

その時の私に比べたら今の私の方が150倍くらい人生楽しんでいます。まあ、リアルに2.5倍くらいは可愛くなっただろうし笑、とにかくあの頃の私には戻りたくない。だから経験上、「若い」から「素晴らしい」わけではないというのは痛いほどに分かっているのです。

 

 

しかしながらご存知の通り、世の中には10代の青春時代を美化するコンテンツが山のようにあります。高校生?いいねー、青春だねぇ!今がいちばんいい時だねぇ。華やかしいねぇ。なんて大人は平気で言いますが、、でも、、ねえみんな、、自分の10代の頃を忘れちゃったの??

 

思い出してみてください。映画の中に出てくるような、優しくて人望があって、さわやかな男の子がどこの中学校にいただろう?ミニスカートが似合って、勉強もできるしオシャレだし、髪の毛サラサラって女の子が一体どこの県にいるんだろう?風早くん(『君に届け』)なんてくそくらえ、みんな、もっとずっと不器用で、イモくさくて自信がなくて、下手すりゃ一生涯思い出しては死にたくなるような恥ずかしい思い出を積み重ねる、それが大部分にとってのリアルな「青春」の姿でしょう?

私は『耳をすませば』を直視できないところがあります。だってこの世界のどこに天沢聖司くんみたいな人がいて、どこの女の子が中学3年生で自分のやりたいことが分かってるんだろう?とか思ってしまって。リアルな中3生は、もっとぜんぜん違う、泥臭いものと闘っているとゆーのにさ。(でも耳をすませばは大好きな映画です。)

 

そんな華々しい、架空の青春像を押し付けられているせいで、私たちは何かを「取り残したまま」大人になってしまった気がしてしまう。だから人はみな若さというものに執着があるのだと思います。でもよく考えてみてほしい、その時代に「取る」に値するものは、ほんとに、あったのでしょーか??

 

 

 

考えてみれば、人生オッサンになってからの方が長いじゃねーか。

 

と『銀魂』の作者、空知英秋さんがどこかで書いていたのを思い出すけど、これはまじで笑えない、恐ろしいことです。このままじゃ、幻想の青春時代という虚空を抱えながら、長い長ーいオッサン・オバサン時代を過ごすことになってしまいます。いやだなー。

 

私は青春時代が20代とか30代に始まってもいいと思う。あんな、脳みそも肉体も精神も未完全な10代に全てを委ねなくったって。ねえ?

 

 

 

(とかいいながら、この前、講師をしている塾で、中学1年生の男の子に「先生っていくつですか?」と聞かれ「25」と答えたら、真顔で

「若いですね。」

といわれてガチで照れてしまったのは内緒のハナシ。)

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です