だれしも、人の身体について気になる、というかフェチというか、あると思います。たとえば人の外見の良し悪しをどこで判断するかというと、目だ、脚だ、胸だ、匂いだ、とか、それぞれにこだわりがあって、私の場合それは指です。
昔から、人の指が気になってしょうがなかった。
指ってなんか不思議じゃないですか?細長くて、先に爪が付いていて、5本で、なんか変な形!そして色んな人の手をよく見ると、それは顔ほどに違うんです。顔オンチの私は、実は高校・大学の時のクラスメイトを指で判断していたところがあります、まじで。あ、この手は〇〇君だな、とか。人の顔って歳とか精神状態とか髪型とかですぐに印象が変わっちゃうんだけど、その点、指は不思議といつも変わらないんです。
個人的に、身体の部位で最もDNAを色濃く反映させる場所は指だと思っている。
誰かの指を見てみてください。それは必ず、彼のお父さんかお母さん、もしくはその掛け合わせの指や爪の形をしているはずです…!この兄弟、顔とか性格とかぜんぜん似てないよね〜って人がいるとしても、指を見てみてください。必ず似ているはずです。
指。そこにDNAの気配を強く感じてしまう。容姿も、服装も、将来何になるとか何を叶えるとか、人間にはあらゆることにある程度の「自己決定権」がありますが、どんな指に生まれるかは決められません。そこに圧倒的な「抗(あらが)えなさ」を感じます。
そしてだれかの指を見ると、「ああ、この人も人の子なんだな」って感じる。頭の良い子、人気のある子、面白い子、才能のある子。そんな人の指を見てみると、なーんだ5本だ、所詮おんなじじゃん。ああすごいや、みんな誰かの子なんだなぁ!とか思う。
私のこの指への強いこだわりは、具体的に役に立つことがあります。例えば、これは私が2年前に住み込みで旅館で働いていた時のこと。私はその日フロント業務のミスをして、控え室で支配人に怒られていました。
「クーポン処理のことだけど、ここの欄に記載あったらチェックインの時に確認せなならんの…前一度ゆうたな?…ぼくら会計のとき必ずお客さんのクーポン確認してるの知ってた?知らんかった?…ああ、全然見てないんやな。だめやな…」
はァ、すみません…。
とか怒られてる時に、すかさずじっと相手の指を見る。
すると、「ああこの人はすごく真っ当なこと言って、さも今ここではすべて自分が正しいと思ってるんだろうけど(正しいのだけどね笑)、結局、抗えないのだ、自分の指のカタチに。自分の指が5本であることに…!それは自分が決めたことではないのに、さも自分が始めから創って自分のものにしているかのようだ!」
とか思って、すると不思議、怒られているダメージが華麗にダウンする(ああいけない癖ですね)。
みな、自己を完成させてるように見えて、自分の意思で生きてるように見えて、結局指が5本であることからすら逃れられないのだ!!!!
ここが萌える。
「5本5本ってそんな、、指が3本とか4本の人もいるじゃないですか!」という人がいるかもしれないけど、問題はその本数じゃないんだ。言いたいのは、私たちは何にも抗えないし、私たちの身体のどこにも私たち自身で作ったものはないということだ。
周りを見渡せば、こんなに人工物が溢れ設計に溢れ意図に溢れたこの街で、「身体」こそ一番近くにあって一番よく使うものなのに、この形を何一つ自分たちで決めてはいない。
人生は思いのまま。行動するがまま、社会は私たちで変えられる、We Can Change The Worldっ!!しかし私たちは手の指の数、足の指の数、何一つ決められないまま生まれて使って死ぬ。
ああ何に乗って生きてるんだろう、私たちは。
笑いましたw なんか車の話あたりからおかしな方向にいってる感じですねw
ありがとうございます^ ^