ビーガンについて私の思うことのすべて。

 

最近よく耳にするようになってきている、「ビーガン」という言葉。

ビーガン(Vegan)。

簡単に言えば、お肉、牛乳、卵など動物由来の食品を食べない人たちのことを言います。ベジタリアンと言ったほうが分かりやすい?しかし厳密にはこんなふうに分類されているみたいです↓

参考:ベジタリアンとは?日本ベジタリアン協会HPより

 

なるほど、ベジタリアンの中でも特に厳格なのがビーガンってこと…!

 

さて、よく耳にする言葉ではあるけれど、実際のビーガンの人たちの生活や、考え方に触れる機会はあまりないように感じます。

 

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私はここ一年半で、日本・ヨーロッパでのWWOOF旅を通してビーガンにまつわる様々な立場の人たちに会い、色んな意見を聞いてきました。

・ビーガンの人

・元ビーガンだった人

・ビーガン反対の人

 

そんな中、私自身はビーガンについてどう思う?というところを、経験談とともにつづります。

 

 

いきなりぶっちゃけた話!本音のところ、ビーガンってちょっと怖い…って思ってました。

数年前まで私は、「ビーガン=動物愛護の人たち?」って思っていたので、「ビーガン」と聞いた時につきまとったのは、ある種の宗教感…?っていうのかな…。なんだろう。。

 

今すぐにでも「ラヴアンドピース!!愛こそが世界を救う!」って叫び出しちゃいそうな、アメリカのヒッピー文化を彷彿とさせる、あの感じ。。。ビーガンというと、食べ物だけでなく、精神的なものも関わってくることだって、私は大変に無知ながら、感覚的に感じ取っていました。

 

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動物のお肉を食べない。うん分かる。私も動物大好きだし、なら動物から搾取するのはやめようよ、というのはとっても理解できること。だから私も大学時代から何回か、肉食をやめようと試みていたんです。(まあそれと同じ回数挫折したのだけれど。)

 

それでもやっぱり、「私はお肉を食べません」って周りの人に言うのに抵抗があったのも事実…。

そしてお肉を食べない生活ってのにもなかなか慣れなくて、すぐに心が折れてフツーの食生活に戻る、の繰り返しでした。お肉って、やっぱり美味しいし。

だから、ビーガンというのは、いつまで経ってもぼんやりとした存在で、私の生活からかけ離れたものでした…。

 

 

さて、私が初めてビーガンの人と出会ったのは、去年の春、国内3ヶ所目のWWOOF(ウーフ:ファームステイ)のため山梨県に訪れた時のこと。

国内WWOOFの体験談について詳しくはこちらの記事より↓

WWOOF体験記〜総集編2018!〜

 

もも農園を営むそのご家族は、農園と併設してビーガンカフェを経営していました。ビーガンだったのは、そこのおばあちゃん。(おばあちゃんといっても、カフェのオーナー兼バリバリの現役シェフ、かなり溌剌としたおばあちゃんだったけど。)

 

 

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彼女に会ったとき、わあ。ついにリアルにビーガンの人と出会った!と、内心ちょっとビクビクしていたんです。

けい子さんは、牛乳や卵はもちろん、だしまで魚由来のものは使わない、しかも週に一度は塩分を摂らない日を設けていて(これはビーガンとは無関係かもしれませんが)、とにかく食に関してはかなり厳格そうな人だったんです。

彼女の思想や信念は、強そうだ…

 

ならば彼女は、私がお肉を食べていることについて、どう思うんだろう。お肉を食べることがどれだけよくないかって、説得されちゃったらどうしよう…

という不安感が付きまといました。

 

しかし思わぬことに、何日経ってもそのおばあちゃんの口から直接「ビーガン」というワードは出てこなかったんです…。それで私は、ついに自分から聞いてみることにしました。

「けい子さんは、なんでビーガンをやってるんですか?」

 

すると、「私は、動物が好きだからかな。」と、けい子さんの返答。

 

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と、少し驚きました。

 

けい子さん:

「私は個人的にビーガンをやってるけど、それを誰かに強制しようとは思わないよ。私の家族だって、お肉も食べるしね…。ただ、お肉を使わないお料理もこんなに美味しいよ、ってことを伝えたくてカフェをやってるのよ。」

…そうなんだ。

私も、動物が好きなのは一緒。ただ、けい子さんはそれを「行動」に移してるだけなんだ。気持ちは、フツーの人とそんなに変わらないんだなぁ。。

 

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この経験をきっかけに、私は、ビーガンの人に対する心の壁が、ぐっと低くなりました。

 

けい子さんとの出会いを経て気が付いたことがありました。それは私はなぜ「ビーガン」の人に、抵抗感を感じていたか、の理由。

 

 

私は、ビーガンの人に説得されるのが怖かったんだと思います

あるいは、自分の生き方自体を否定されるのではないかという恐怖

 

 

ではなぜ、「恐怖」?

 

それは…肉食を巡る考えが、紛れもなく「YesかNoか」の世界だからだと思うんです。

 

 

たとえば宗教に関することでもそうですよね。

 

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って人には恐怖感を感じないけど、

 

 

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って友だちが言い出したら、なんだかもう、怖いというかなんというか…「あれっ。ちょいちょ〜い、どーしたの戻ってきて〜!」的な(笑)

これは極端な例か…(^_^;)

 

でも、他の意見を受け付ける余地のない、なにかを100%信心しきっている態度というものにはどうしても、ぞっとするものが有ります。

そして、ビーガンの人たちがこういうふうに根拠のないものを信じているわけではないにしても、肉食を一切やめるその行為は裏を返せば「肉食」=「悪」だという図を感じさせてしまうわけで、そのことが無意識の中に

・ビーガン

・ビーガンでない人

の立場を見事なまでに分断させてしまう原因になってしまうかと。

 

 

そっち側の人たちは、こっち側を否定しているんだという恐怖感。

ほんとはそんなことはないのだけど、しょうがないです。。

 

だってお肉を

・食べるか

・食べないか

というのは、まさに二対極的な、限りなく「YesかNo」の問題ですから…

 

そう思うと、友だちに「肉食やめたんだー」って言うのすら怖かったのは当然のことだったんだなぁ…って、今になって思います。

 

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(友だちとの間にはなるべく波風立てたくないという、私のチキン根性が出現するのです…)

 

 

ビーガンにまつわる人たちについての話、その②。ところ変わって、ヨーロッパはアイルランド!サイモンさん宅でWWOOF滞在したときのこと。

 

サイモン宅でのWWOOF滞在記はこちら↓オススメ記事・:*/.:+

【*必読*】アイルランドWWOOF体験記。「どうしたら人間は幸せになれるの?」

 

このブログにも書いたように、サイモンさんは自給自足の暮らしをしていて、そこには食用の牛、鶏、アヒルも飼育されていました。つまるところサイモンさん自身はビーガンではありませんでした。

 

彼とビーガンについての話になった時、打ち明けられたのは、

 

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というお話。

 

 

「10年くらい前かな、かなり本格的にビーガンをやってたんだけど、僕の体質には合わなかったように思うよ。欠けた栄養素をサプリメントで摂らなきゃいけなくて、自分の健康を害することになって、結局方針を変えたんだ。

僕は肉を食べるよ、でも、自分で育てて自分で殺した肉しか食べない。」

とサイモンさん。

 

「畜産の問題の一つは、動物たちが劣悪な環境で育てられているということ。狭い、工場のようなコンクリートの檻の中で育てられ、大量に生産され安価で売られるという状況。問題は、畜産が「工業化」していることにあると思うんだ。そういう畜産のあり方には僕は反対だから、僕はスーパーでお肉は買わない。」

と彼は言っていました。

 

 

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肉を食べる、食べないだけでは語れない側面を知りました。

肉を食べること自体は必ずしも「悪」じゃなくて、問題の一つにあるのは、「動物が育っている環境」。同じ命を食べるにしても、その命を、幸せに生きてもらうのか、と、苦しみの中で生きさせるのか…

肉食を巡る問題は、命のあり方への「選択」でもあると学びました。

 

 

なるほど。。

私はきっと、サイモンさんみたいに自分の手で牛や鶏を殺すことなんてできない。怖いもん…。

かといって、劣悪な環境で育てられた安価なお肉を「買う」ということは、その命の扱いのあり方に「賛成」していることに他ならないから、私は、お肉を食べることはそういうことにも関わってくるんだって、考えなきゃいけないんだって思いました。

 

・・・

 

ところで最近は、環境問題意識の高まりと共に、ビーガンに転向する人が増えてきている感じがします。

え、でも、なんで環境問題から「ビーガン」という選択に繋がるの?

 

 

そこのところを、私はちゃんと理解できませんでした…で、最近少し勉強してみたんです。

簡単にまとめると、こういうこと↓

 

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データ:ドキュメンタリー映画『cowspiracy』より

参考:ブログこまろぐより地球の環境を守るには肉を食べることをやめなければいけない!環境問題のタブーに切り込む映画『COWSPIRACY』に考えさせられる

 

えっ!温室効果ガスの51%を畜産が占める!?

(しかしほかの色々な情報源からデータを見てみたところ、この数値の記述には大きく差がありました。データによっては、16%、21%、28%など…。この数値は、飼料生産・森林の開拓・水の供給など、どこまでの影響を考慮するかによって違ってくると思うのですが…)

 

いずれの数値を信用するにしても、畜産による温室効果ガスの排出は、無視できないものだということは確実に言えるのだと感じました。

 

この側面から考えると、ビーガンは単なる精神論に収まらないと言えます。温暖化問題が深刻化している今、その原因とされているCO2排出の元凶の一つとなっている畜産に「Yes」と言うか「No」と言うのか…

そういうシンプルな図式になってきているとも感じます。

 

 

それでも、インターネットの世界には様々な情報が飛び交っていて、何を信用したらいいのか判断が難しいところ。なのでここで一つ。

これは私がヨーロッパのWWOOF生活の中で、数軒の畜産農家に滞在させてもらって実際に感じたことなんですが…

 

家畜の世話してみて分かりました。牛や羊の食べる藁や、飲む水の量って、確かにすごいです。

 

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写真よりも、目の当たりにすると一層リアル…。とにかくすごい量なんです。餌を追加する作業が一日に何度もありました。

 

そりゃあ、ひとつの命を動かすエネルギーがそれだけ必要っていうのは分かります。

でも…こちらが引いてしまうほどの、それは膨大な量で、それだけ糞の量も凄くて、おしっこの量もすごい。それが、一頭の子牛が成牛に育つまでも何年も何年も、毎日、繰り返されるわけです。

そういう光景を目の前にし、さすがに疑念を抱かざるを得ませんでした。

穀物を、ひとつの命を通して摂取すること。

ひとつの人生(牛生?)を介してやっと私たちのエネルギーになること。

これは、、正直、エネルギー効率としてはすっごく悪いよなぁ。と感じました。

 

 

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なーんて、正直思ったんです…。

 

結局、私はこれらのヨーロッパのWWOOF体験を終え、帰国と同時に、お肉や乳製品を食べるのをやめよう!と思い立ちました。

それは大学時代に思っていた「動物がかわいそうだからお肉やめよー。」っていうぼんやりとした決意とは違う意味で。

 

でも…

うまくいきませんでした。豆腐料理もレパートリーが尽きて来るし、外食行ったら選択肢がほとんどないし…。それより何より、お肉ってやっぱり美味しいし!

 

ゆらぐ信念。

あーあ、肉食には反対だけど、私ひとりが完璧になるのでさえこんなに難しいや…。まあ、私の意思が弱いのだけれど…。とヘコんでいました。

 

 

そんな頃に出会った、サキさんについてお話します。

サキさんについてはこちらの記事↓

結婚したら、子どもができたら、大人になったら…夢を諦めなきゃいけないと思ってた。

 

彼女は長野県のとある村で大豆の無農薬栽培をしている方で、元から環境問題に強い関心がある方なのですけど、彼女はこう言ってました。

 

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サキさん:

「お肉はほとんど食べないけど、月に1〜2回はフツーに食べるしね。食事会や外食とか。それに、ビーガンって言っても、卵は買って食べるよ。平飼いの自然飼育してる農園のものを選んで買ってる。環境のこと考えてやってる卵農家さんもいるから、そういうのは応援したいからね。」

 

サキさんの言うことって、いつもなかなかに新鮮(笑)あ、そっか、ゆるいビーガンってのもありか!

 

そうなんです、ビーガンって、ゼロかイチか、白か黒か、そういうふうに考えるとやっぱり辛いものがあります。

いきなり肉食をゼロにしよう!

ケーキもアイスもダメ!

このお菓子に使われてるゼラチンは動物由来だ!食べちゃいけない!

ってやり始めるとキリがない。いや、キリはあるかもしれないけど、疲れてしまう。

 

ならば、最初は一日一食だけお肉をやめてみよう、とか、今日は炒め物にお肉の代わりに油揚げ使ってみよう!とかでもいいのかなー。

そう思うと、一気に気が楽になったんです。

 

ノーミートマンデイ(No Meat Monday)っていう、月曜日だけお肉を食べるのをやめよう!って活動も、若者を中心に最近ではありますよね。

あっ、そこからでもいいのか!って。

 

まあ、たかが週に一度?たかが一日一食?スーパーに行けば、こーーーんなにたくさんお肉が売られているし、こーーーーんなにたくさん、それを買う人がいるのに?

なんて不甲斐なさは感じるけれど…

 

そんなとき、こう考えるようにしました。

それが例え一回だとしても、「お肉を食べない」ことを選ぶって、海辺を歩いて、カケラひとつずつ、プラスチックゴミを拾うようなものかもしれない、と。

 

まあ、ゴミ拾いよりももっと実質的な影響力を持つのかもしれないけど。

 

 

目の前に落ちているそのゴミを拾う。その行為の、どこが悪い?

誰がそれを、無意味と言える?

 

 

自分ひとりの力が小さく感じられてしまうけれど、「その行為は、ごみを拾った一個ぶん、世界を良くしている」、そんな面ではごみ拾いに似ているなーって思うんです。

 

それはとても小さいことに思えるし、いろんな意見がある。

でも、100の空虚な言葉の前に、ひとつ意味のある「行為」を置いていくこと。

それ以上に、力のあることってあるだろうか。

 

 

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で、私は、誰かにビーガンになることを勧めたいのではなくって、今いちばん問いたいのは、なんでゴミ拾いしている人たちに向かって、「極端だ」とか、冷たい言葉を浴びせる人がいるんだろう、ということ。

「畜産で従事している人の職がなくなったら、その責任を負えるんですか」とか、

「植物だって命じゃないんですか」とか…

ビーガン活動家の人のSNSを見ていたら、ビーガンの人に向かって無意味な攻撃をする人がかなりの数いることに気が付きました…。

 

そうでなくっても実は、私の父親が、モロに反・菜食主義の人なんです(笑)だから父とはいつも言い争ってしまう…

 

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私はそういう論争に関わりたくはないし、お父さんを言葉で説得することもたぶん無理。。私に思想があると同じだけ、それはお父さんにもあるから。

けれど、地球環境を良くしよう、動物たちがまっとうな命を送れる社会を作ろう、と自分一人から変わっていこうとして行動している人たちを、空虚な言葉で批判することの意味は、一体どこにあるのだろうか、って思う。

 

「極端な動物愛護だ」とか「宗教がかった思想だ」とか、「一種の流行だ」「無意味だ」って思う人もいるのかもしれない。なにせ、私もそう思ってたし。

 

けれど、彼らがなぜビーガンという生き方を選択しているのか、肉食をやめることで世界に及ぼす具体的な数値はどうなのか、それを知ろうとするだけでも、ビーガンについて考える「材料」が変わると思う。

知ったあとに、ビーガンになるのかならないのかは、その人が決めればよいこと!なのだし。それだけのことなんだと思う…。

 

 

結論。

ビーガンは、極端な思想や宗教、押し付けなんかじゃない!それは

「こうあってほしい世界の選択」だ。

 

 

そしてそれは、誰かの生き方を批判するでもない、誰かを強制するでもない、自分ひとりが非力だからとかそういう問題でなく、限りなく、「自分自身」の問題。

そして、買い物は「投票」だっていうのは、肉食に関してはまさに当てはまることだと思うんです。。。

 

工業化する畜産業のもと、かわいそうな命を送る動物が生まれる世界に、「Yes」と言うのか?

温暖化の一因であると分かっているものに、「Yes」の意味であるところの「お金」を費やし続けますか?

 

その答えが「No」であったなら、じゃあ例えば、週に一度だけ、ステーキじゃなくて大豆料理を食べよう、とか、今日のカフェラテは豆乳に変更して注文してみよう、とか、そこからでいいんだ。

それはとってもシンプルなことに思える。

 

 

週に7票与えられた投票権の、1票だけでも、自分が望む世界の方へ投げてみること…

それって結構、というか、かなり、意味のあることだと思う。

 

 

ということで、おわり。

 

なんか、ビーガンを勧める記事みたいに感じられたらごめんなさいm(._.)mでもこれが、私がビーガンについて思うことのすべてを、正直に書いたところです。

 

 

 

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以上、私のゆるゆるビーガン録でした!最近はとくに、お肉や卵を避けることに苦しさを感じなくなりました。「慣れ」や「習慣」の力は大きいなぁ、と。

 

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最後まで読んでくれてありがとうございました^_^

またブログに遊びに来てくださいね。

 

 

 

最後に、わたしの好きなお話。

 

 

*・゜゚・*:.。..。.:*・’・*:.。. .。.:*・゜゚・**・゜゚・*:.。..。.:*・’・*:.。. .。.:*・゜゚・*

 

 

海岸を散歩していると、

少年がヒトデを海に投げていた。

何をしているのかと尋ねると、少年は

「海に戻してやらないとヒトデが死んでしまう」

と答えた。

 

 

わたしは、

そんなことしても海岸中がヒトデだらけなんだから、

全てのヒトデを助けられないし、意味がないだろうと言うと、

少年は少し考え、またヒトデを海に投げた。

 

 

そして私に

こう言ったのだ。

 

 

「でも今投げたヒトデにとっては

意味があるでしょ」と。

 

 

−ローレン・アイズリー

 

*・゜゚・*:.。..。.:*・’・*:.。. .。.:*・゜゚・**・゜゚・*:.。..。.:*・’・*:.。. .。.:*・゜゚・*

 

 

 

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